▼十両
東12枚目 北はり磨 5勝10敗
西13枚目 矢後 7勝8敗
西14枚目 希善龍 6勝6敗3休
△幕下
東筆頭 貴源治 4勝3敗
西筆頭 北太樹 4勝3敗
東2枚目 翔猿 5勝2敗
東3枚目 舛の勝6勝1敗
十一月場所の十両昇進は、舛の勝改め隆の勝
と再十両の貴源治の2人で、北太樹と翔猿は
幕下据え置きになったことは以前書いた。
ただし、北太樹と翔猿は関取経験者で、すぐ
に十両に戻る気力さえあれば関取復帰は近い
と思う。ただし、長く幕下に留まってしまう
と戻るのは容易でなくなる傾向が元関取には
ある。
不運で十両昇進がならなかった力士を思い
おこせば隠岐の海がいる。平成20年十一月
場所、十両から幕下に落ちるのが磋牙司1人
に対し、幕下から十両に上がれる候補が2人
いた。東幕下筆頭安壮富士6勝1敗、西筆頭
福岡(後の隠岐の海)5勝2敗である。結果
は安壮富士が十両に昇進し、5勝2敗をあげ
ながら、福岡は幕下東筆頭に留まった。
さらに思い起こせば、忘れられない場所が
ある。平成18年五月場所である。新大関白鵬
が初優勝した場所である。このとき十両から
幕下に落ちるのは、泉州山と須磨ノ富士と
2人いた。これに対し幕下から十両に上がれ
る候補は4人いた。
東筆頭上林5勝2敗
西筆頭龍皇4勝3敗
西3枚目景山(後の栃煌山)5勝2敗
東15枚目格下田7勝優勝
まず、上林は文句なしである。問題は残り
1枠をどうするかである。15枚目付出しの
下田は7戦全勝優勝で規定によって上がれる
かというとそうはならなかった。下田は15枚
目格であって15枚目ではない。「下田は十両
に上がれる候補であるが、第一候補ではない」
と協会が説明した。
結局十両は龍皇が上がり、東幕下筆頭に景山、
西筆頭に下田という番付になった。ただ、
両力士の力量から十両入りは近いと思われた。
事実景山は6勝1敗で十両入りを決めた。
ところが、下田は2勝5敗と負け越してしま
ったのである。
ここから下田の迷走が始まった。幕下になん
と38場所も在位して三段目に落ちてしまった
のである。2場所で幕下に復帰したが、5場
所務めて再び三段目に落ち、もう幕下に戻る
力はなかった。
最後は幕下以下を10年弱務め引退した。最終
の四股名は若圭翔であった。ふり返ると、若圭
翔にとってたった1度の十両入りのチャンスが
の四股名は若圭翔であった。ふり返ると、若圭
翔にとってたった1度の十両入りのチャンスが
見送られたことがすべてだった。平成18年
七月場所の番付は、力士人生の明暗をわけた
瞬間であった。
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