輪島大士とは|学生出身初の横綱、優勝14回と70歳で死去するまでの栄光と波乱

輪島大士は、学生出身で初めて横綱になった第54代横綱である。2年連続の学生横綱をひっさげて角界に入り、横綱昇進を15戦全勝優勝で決め、優勝は14回を数えた。2018年10月8日、70歳で亡くなった。

※相撲記者・田口 通廣が亡くなった2日後の2018年10月10日に書いた記事。代数と出身地は日本相撲協会の歴代横綱の一覧、学生出身の横綱のその後は田口の2025年6月の記事による(2026年9月27日確認)。

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輪島の死去|70歳、咽頭がんを患っていた

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学生出身の大相撲入りは頻繁で、今も多くを占めている。だが、記事を書いた2018年の時点で、横綱となると輪島しかいなかった。

その輪島が亡くなった。まだ70歳だった。咽頭がんという大病を患っていたため、体力的には弱っていたように映ったと田口は書いている。

8日、ソファで息を引き取ったとのことである。最近は消息をほとんど聞くことがなかった。

没年1A
没年2A

2年連続学生横綱から角界へ|デビューは幕下優勝

輪島は2年連続の学生横綱をひっさげて角界入りした。そのデビューは鮮烈で、いきなり幕下で優勝した。

ところが、輪島への評価は必ずしも高くなかった。学生出身の先人である豊山(前名内田)に比べると、胸がうすく、相撲が小さかったからである。

翌場所も全勝優勝して十両昇進を決めると、周囲は「これはちょっと違うぞ」と見るようになった。

輪島
<ザンバラ時代の輪島>

横綱昇進は15戦全勝|「輪島は勝負がうまい」

幕内、三役、大関の出世は豊山(前名内田)のほうが上だった。輪島の相撲は、頭をつける、下手の技など小さいままだったが、そのまま強くなった。

双葉山に傾倒し、相撲を見る基準を双葉山においた故小坂秀二氏は「輪島は勝負がうまい」と評した。相撲がうまい、勝負強いとは違い、勝ちにもっていく過程がうまいという意味で、否定的な意味が含まれていた。

大関に昇進してから、輪島の相撲は安定感を増した。横綱は時間の問題で、横綱をかけた場所を独走の15戦全勝優勝で飾り、横綱を決めた。

輪島北湖
<横綱輪島>

輪島の強さを語った言葉

語った人輪島評
石井光次郎氏(横綱審議委員)「輪島はマシーンのような強さ」
神風氏「羽黒山の堅実さ、強さと安芸ノ海のうまさをあわせたのが、輪島の相撲」
玉の海氏「すり足、顎があがらない、腰を落として攻める。大胆な中に緻密さがある」
大鵬「攻撃から防御、防御から攻撃と相撲にリズムがある。輪島の強さの一番のポイントは腰の中心点に寸分のくるいもないということだ。投げを打つときの体の開きは天才的」
輪島の相撲を評した言葉(田口 通廣の記事から)

いちばん強かったのは横綱2・3場所目

田口は、輪島が最も強かったのは横綱2場所目と3場所目だと見ている。2場所目は全勝優勝、3場所目も初日から連戦連勝で、負ける気がまるでしなかった。

12日目の貴ノ花との一番で指の間を裂傷しなければ、連勝はどこまで続いたかわからなかった。そう思わせるほどの安定感と抜群の強さだったという。

北の湖との死闘|本割と決定戦を連勝して逆転優勝

北の湖との死闘はこの後だった。千秋楽の本割と優勝決定戦で、左前褌、右おっつけから下手投げで北の湖を倒したのは語り草になっている。

千秋楽に同じ相手を本割と優勝決定戦で破っての逆転優勝は、初代若乃花、大鵬に次いで当時3人目だった。田口は、相撲アニマル輪島ならではの達成と書いている。

優勝14回|当時は大鵬に次ぐ2位

輪島は優勝14回。当時、栃錦、若乃花、北の富士の10回を超え、大鵬に次ぐ2位の優勝回数だった。

私生活では一流好みだった。高級車で場所入りし、つき合う人間も一流で、地方場所では部屋ではなくホテルに泊まっていた。

080217白鵬倶楽部 165 A4
<社会人輪島(中)>

引退後の波乱|花籠部屋を継ぎ、協会を去る

引退後の輪島はスキャンダルの連続だった。師匠の娘と結婚して花籠部屋の後継者となったが、家庭内がうまくいかず、部屋には住まずに近くのマンションから通うありさまだった。

決定的だったのは、年寄名跡を借金の担保にしたことである。身内の事業失敗のために借金を申し込んだ際、花籠の株を提供した。

そのため協会を追われ、部屋の力士は元魁傑の放駒部屋へ移ることになった。その後プロレス入りしたが、長くは続かなかった。

学生出身初の横綱、唯一の本名横綱|2018年の田口の結び

栄光に彩られ、波乱の人生となった輪島。田口は2018年の記事を、輪島の名は学生出身初の横綱とともに唯一の本名横綱として永遠に残る、と結んだ。

その後、2025年に大の里が横綱に昇進すると、田口は輪島対大の里もし戦えばで「大の里は日体大出身である。輪島についで2人目の学生出身の横綱である。」と書いた。日大出身の輪島の横綱昇進は昭和48年五月場所後で、偶然だが両者とも石川出身である。

日本相撲協会の歴代横綱の一覧では、輪島は第54代、下の名は大士(ひろし)、出身地は石川県七尾市となっている。

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田口には、輪島がサイン会で規定の数が済んでも、来てくれた人に続けてサインしていた思い出がある。

よくある質問

Q. 輪島大士はどんな力士ですか?
A. 学生出身で初めて横綱になった第54代横綱。2年連続の学生横綱から角界入りし、横綱昇進は15戦全勝優勝で決め、優勝は14回を数えた。

Q. 輪島はいつ亡くなりましたか?
A. 2018年10月8日に70歳で亡くなった。咽頭がんという大病を患っていた。

Q. 輪島の優勝回数は?
A. 14回。当時、栃錦、若乃花、北の富士の10回を超え、大鵬に次ぐ2位の優勝回数だった。

Q. 学生出身の横綱は輪島のほかにいますか?
A. 2025年に日体大出身の大の里が横綱に昇進し、輪島に次ぐ2人目の学生出身の横綱になった(田口の2025年6月の記事)。

Q. 引退後の輪島はどうなりましたか?
A. 師匠の娘と結婚して花籠部屋を継いだが、年寄名跡を借金の担保にしたことで協会を追われた。部屋の力士は放駒部屋へ移り、輪島はその後プロレス入りした。

関連記事:輪島対大の里もし戦えば/花籠部屋はなぜ消えたか/学生横綱・輪島の源/永遠にさようなら輪島

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この記事を書いた人

少年漫画雑誌、日経関連の編集者を経て独立。現在は大相撲を専門に取材するライター。ほぼ毎場所、自ら土俵際で撮影している。にほんブログ村 相撲・大相撲カテゴリでランキング1位。

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