大相撲

立浪の迷走

2018年10月11日

旧貴ノ花一門から離脱していた立浪(元旭豊)
が出羽一門に入った。貴乃花一門に入った
のは平成24年の理事選のとき、貴乃花に投票
してからである。しかし、貴乃花が今年(平
成30年)4月に貴乃花一門から貴乃花の名を
はずしたい旨の申し入れが一門の会合でおこ
なわれた。立浪はこれを機会に5月初めに
一門を離脱した。
旭豊A
<立浪(元旭豊)>

しばらくは無所属になってはいたが、7月
下旬、理事会で5つの一門に所属するよう
決定されると、出羽一門加入に動き、9月
18日の出羽一門会で要請した。その後出羽
一門の加入が認められた。

現在の一門は出羽一門、二所一門、高砂一門、
時津風一門、伊勢ヶ濱一門の5つである。
ところが、昭和40年、部屋別総当たり制が
実施されたときは、伊勢ヶ濱一門が違って
いた。立浪・伊勢ヶ濱連合だったのである。
立浪部屋は緑嶋からの流れを組む元2代目
羽黒山=安念山、伊勢ヶ濱部屋は清瀬川から
の流れを組む元照国。現在の伊勢ヶ濱(元
旭富士)との繋がりはない。ほかに八甲山
以降の流れを組む宮城野(元吉葉山)、高島
(元三根山)、友綱(元巴潟)、大阪相撲
からきた朝日山(元二瀬山)の組合があった
のである。
立浪A
<立浪の系統>

立浪は連合の冠名であったのだ。その後、
伊勢ヶ濱部屋が元清国の代で部屋が消滅する
と、立浪一門としてやってきた歴史があった。
分家として時津風(元双葉山)、春日山(元
名寄岩)部屋、大島(元旭国)部屋、さらに
大島部屋の元旭富士が安治川(元陸奥嵐)
部屋を引き継ぐ形で独立している。そういう
意味では立浪は本家なのである。なお、
時津風が立浪を離れたいきさつはこれまで
書いてきた。詳しく知りたい方は、下記を
クリックしていただきたい。

羽黒山 (
<羽黒山のブロマイド>

立浪部屋はかつて横綱双葉山、横綱羽黒山、
大関名寄岩の立浪三羽烏を、そして大関若羽
黒、関脇安念山=2代目羽黒山、関脇北の洋、
関脇時津山の立浪四天王を生んだ名門なので
ある。かつての名門がさまよい歩き、行き
着く先が他系統の一門では寂しい限りである。

日が落ちるのが早くなりました。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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