大相撲

三賞の記録

2018年10月12日

平成30年九月場所は三賞が制定された昭和
22年秋場所から数えて記念すべき400場所目
にあたっていた。その記念すべき場所の三賞
で史上初の珍事がおきるとは、誰が想像でき
ただろうか。その珍事とは殊勲賞・敢闘賞・
技能賞すべてが該当者なしとなったことで
ある。これという決め手がなかったという
ことなのだろうが、まさかの結果であった。
1705風景 007
<三賞>

該当者なしは九月場所を含め、殊勲賞が59度
目、敢闘賞が14度目、技能賞が73度目であっ
た。平成21年には6場所連続殊勲賞該当者
なしを記録している。技能賞は平成6年九月
場所及び平成26年十一月場所から5場所連続
該当者なしがあった。

該当者なしは安易な妥協をなくし、三賞の
権威を高める効果がある。ある力士が技能賞
候補にあがったことがある。しかし、立ち
合いがずるいほどうまいということで、結局
該当者なしになった。九月場所の三賞すべて
該当者なしは、力士への発奮材料にしていた
だければと思う。
寺尾1
<寺尾>

逆に三賞受賞力士が最も多かったのは何人か。
一人もダブル受賞がなく、5人受賞したこと
が2度ある。それが以下である。
平成6年三月場所
殊勲賞 魁皇 敢闘賞 寺尾・貴闘力 
技能賞 小城錦・琴錦

平成10年五月場所
殊勲賞 小城錦・琴錦 敢闘賞 出島・若の里
技能賞 安芸乃島

一人で殊勲賞・敢闘賞・技能賞を同時に受賞
した力士はいるか。単独では2例ある。まず、
昭和48年七月場所の大受である。ほかの力士
がもう一つ決め手に欠け、大受の独占となっ
た。大受はこの場所後に大関に昇進している。
そしてその翌場所、昭和48年九月場所の大錦
である。大錦は新入幕であった。新入幕で
横綱・大関を倒したのだから驚異の新人で
あった。ただし、大錦はこれが最後の三賞
でもあった。
大受
<大受の記事>

ほかの力士とともに受賞しているが、殊勲賞・
敢闘賞・技能賞を同時に受賞した力士は3例
ある。まず、平成4年一月場所の貴花田で
ある。爆発的人気の貴花田が初優勝したもの
だから日本中がわいた。初優勝の勢いのまま
3賞すべて受賞となった。次が平成11年七月
場所の出島である。この場所関脇出島は横綱
曙に優勝決定戦で勝って初優勝した場所で
ある。最後が平成12年十一月場所の琴光喜で
ある。平幕下位ながら13勝2敗で横綱・大関
を倒しての受賞であった。

殊勲賞・敢闘賞・技能賞を同時に受賞力士は
トータル5人いたことになる。三賞の記録は
まだある。

(この項目続く)

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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