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続 三賞の記録

三賞各賞の最多受賞者をみていこう。殊勲賞
で初めて6回受賞したのが、高見山であった。
輪島に強かった高見山だが、6回目のときは
優勝者北の湖に勝っての受賞であった。しか
し、この記録はあっさり後輩の朝潮に抜かれ
てしまった。朝潮は殊勲所を10回受賞した。
朝潮は横綱北の湖にめっぽう強かった。この
後琴錦・安芸乃島が7回と迫ったが、及ば
なかった。10回で並んだのが魁皇であった。
殊勲賞10回が現在の最多受賞記録である。
朝
<朝潮>

最多敢闘賞はどうか。フックの花と異名を
とった福の花はまさに敢闘男で7回受賞した。
殊勲賞・技能賞はいっさいなく、敢闘賞だけ
であった。だがこの記録は魁傑にたちまち
並ばれることになる。昭和52年一月場所の
ことである。魁傑にとって大関を降格後の
敢闘賞であり、再び大関に昇進することに
なる。その後しばらくは7回が最高であった。
だが、平成8年七月場所で貴闘力が8回目の
敢闘賞を受賞して記録を更新した。貴闘力は
最終的には10回受賞して、これが最高記録と
なっている。
力
<貴闘力>

技能賞は重量級大相撲以前、常連が受賞する
傾向があった。三賞が制定されてまもない
昭和27年に栃錦がいきなり9回受賞してしま
った。栃錦は小兵であり、あらゆる技を駆使
し、動きまわって勝っていた。もろ差し名人
鶴ヶ嶺は昭和31年初場所から10年半かけて、
技能賞10回に到達した。これが最高記録で
あり、その後誰も抜くことはできなかった。
琴錦8回、栃東(子)、琴光喜、鶴竜が7回
で終わっている。なお連続では、栃錦が5場
所連続受賞している。
鶴ヶ嶺
<鶴ヶ嶺のブロマイド>

ダブル受賞の最多は豊山(前名内田)が3場
所連続で、その後誰にもできない実績をあげ
ている。すべて殊勲賞と敢闘賞である。また、
安芸ノ(乃)島が3度ある。内訳は殊勲賞・
技能賞、殊勲賞・敢闘賞、敢闘賞・技能賞と
3様の受賞になった。
三賞のトータル受賞回数は昭和41年七月場所
の鶴ヶ嶺の14回(殊勲賞2・敢闘賞2・技能
賞10)が長い間の最高記録であった。朝潮も
14回タイ(殊勲賞10・敢闘賞3・技能賞1)
で終わっている。この記録を破ったのはF1
相撲の琴錦である。最終的には(平成10年
十一月場所)、殊勲賞7回、敢闘賞3回、
技能賞8回、計18回受賞している。だが、
この記録を超えた力士がいる。安芸乃島で
ある。平成11年九月場所で19回三賞を受賞
した。殊勲賞7回、敢闘賞8回、技能賞4回
である。これが三賞トータル受賞回数の最高
記録となっている。
安芸
<安芸乃島>

相撲博物館がかつて優勝力士100人という
企画をしたことがある。優勝力士は明治の
国技館開設以降(厳密には大正14年まで、
時事新報社が幕内最高成績力士の優勝額を
国技館に掲げる制度)鶴竜が100人目にあた
るというのである。三賞はどうか。殊勲賞は
松鳳山が147人目、敢闘賞は豊山(前名小柳)
が220人目、技能賞は北勝富士が132人目に
あたる。敢闘賞受賞力士が飛び抜けている。
来月納めの十一月場所はぜひ三賞受賞力士が
でるよう活気あふれる熱戦を見せていただき
たい。
好きだった歴史番組がいつの間にか終わって
いました。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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