大相撲

永遠にさようなら輪島

2018年10月15日

10月15日、東京は曇り空であった。そんな
なかで天才輪島の告別式を迎えた。10時青山
葬儀場。かつて大鵬の告別式もおこなわれた
場所で最後のお別れである。報道陣も喪服で
の取材である。
181015輪島告別式 005
<ファン用祭壇>

青山葬儀場には20分ほど前に着いた。一般の
方がご焼香できる場がもうけてあった。輪島
の写真、輪島のキャップなどが展示されて
いた。取組のビデオが流されていた。フアン
の数は平日のせいか多いとはいえない。顔見
知りがいた。大相撲トーナメントでは一緒に
観戦する方である。終わったら仕事に向かう
という。輪島の頃の相撲は今の何倍も面白
かったと当時を懐かしんだ。

告別式が始まり、読経が聞こえてきた。その
後元NHKアナの杉山氏の弔辞の声が聞こえ
てきた。さらにその後デーモン閣下らしき
弔辞の声が聞こえてきた。一段落したところ
で元旭国と元旭鷲山が出てきた。ほかにも
タクシーで帰る方がいた。おそらく葬儀場
では近しい方が最後のお別れがされている
と思われた。
181015輪島告別式 060
<元旭鷲山(左)と元旭国>

その間長い金色のカーペットが出入り口前に
敷かれていた。黄金のまわしにあやかっての
ことだと思う。その上に車も設置された。
しかし棺はなかなか運ばれてこない。あやし
い雲行きだったが、ぽつぽつと雨が降ってきた。
時計は12時をまわっていた。
181015輪島告別式 214
<輪島を乗せた車が出発>

ようやく棺が運ばれ、車の前で喪主と関係者
が並びご挨拶をした。車のクラクションが
なり、金色のロード際に並んでいた関係者が
いっせいに風船を天にあげた。輪島を載せた
車は出発した。その車を見届け、最後のお別
れをした。どうか安らかにお休みください。
永遠にさようなら一代の英雄。

ほかに具志堅を見かけました。

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よしなに
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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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