大相撲

宇良以前に土俵をわかした新十両

2016年6月12日

表題
<隆の山の雄姿>

新十両の宇良の人気と注目度と逆転技はある力士を思い

起こさせた。その力士は宇良以前に技の相撲とスリリン
グな相撲を展開した。彼の名は鳴戸部屋(元横綱隆の里)
の隆の山である。七つの必殺技を持ち、9年半の月日を
かけ、ついに十両昇進を果たしたのは平成23年七月場所
であった。八百長疑惑で強制引退した力士減の影響で
いきなり西5枚目に抜擢された。100キロ前後の体重で、
常にぎりぎりの戦いをしてきた。15日間の極限の戦いが
どんなものか再現してみた。
2日目3日目
2日目 華王錦戦              3日目 佐田の富士戦
4日目6日目
4日目 城ノ龍戦              6日目 明瀬山戦
5日目
5日目 佐田の海戦

初日こそ寶智山に負けたが、2日目以降動きがよく対応
が早い。5日目の佐田の海戦はふところに入られたが、
かわず掛けを仕掛けた。ちょっと無理筋かと思ったが、
うまく体をあずけ、逆転勝利。先輩十両力士に対し堂々
と渡り合っている。

7日目

7日目 濱錦戦       
8日目
8日目 双大竜戦 
 
隆の山が土俵に上がると歓声が凄い。これが先場所まで
幕下の力士かと思うほどだ。そして魅せる相撲を取って
いる。圧巻だったのは対双大竜戦。突き合いから先に上
手を取った双大竜が寄りたてると、隆の山は流れを変え
るようにしてはなった下手投げに双大竜はもんどりうっ
て投げ飛ばされた。こんな相撲は幕下でも見たことはな
い。8日目までで7勝1敗、できすぎである。

12日目

12日目 武州山戦

9日目からかたくなったのか3連敗。見せ場もなく一方
的。舛ノ山戦はけたぐりをだしたが、立ち合いの鋭さが
もうひとつ。勝ち越しに足踏み状態が続いたなかでの12
日目の武州山戦。土俵際追い込まれたが必殺のうっちゃ
り(決まり手はすくい投げ)でようやく勝ち越し。幕下時
代は巨体の前田、南(現天鎧鵬)にさえきめてきた強力
なうっちゃりである。
13日目
13日目 妙義龍戦    
14日目
14日目 剣武戦
隆の山は予想を超える活躍をし、10勝をあげた。特に妙
義龍戦の珍技?には目を見張った。とったりにくる隆の
山を妙義龍は土俵際まで追い詰めた。体勢は不十分なが
らも両足は土俵につけ、隆の山の両足はその間にあり、
逃れるすべがない。と思った瞬間、空中で土俵の外に出、
土俵内に足を戻し、送り投げで倒した。隆の山の反射神
経・土俵にかける執念はすばらしい。

平成23年、大相撲は冬の時代であった。そんな時代でも
目を見張る力士・相撲はあった。隆の山は幕下時代から
注目していた力士であり、その相撲を見られたことは貴
重な一時であった。

6月梅雨の季節でも関東は水不足
興味深いテーマをこれからも届けます。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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