大相撲

30歳以降の優勝

2016年6月14日

160522千秋楽挨拶パレード 044
<五月場所全勝優勝した白鵬>

五月場所、白鵬は15戦全勝で37回目の優勝を達成した。

現在、29連勝中である。今年さらに優勝回数を増やしそ
うな勢いである。白鵬は今年31歳を迎えた。過去の大横
綱は30歳以降の優勝をどのように達成したのか。6場所
時代の大横綱の30歳以降の優勝を調べてみた。それが
以下である。なお、数字は、その年齢を迎えた年の1年間
の優勝回数を示している。
30際A
大鵬は30歳を迎える昭和45年に1回、翌年の昭和46年に
1回優勝している。大鵬は30回の優勝後は、衰えが顕著に
なった。優勝を争った大関清国、大関玉乃島にもろい負け
方をした。また、新横綱として北の富士・玉の海が台頭して
きていた。21歳と若くして横綱になっただけに消耗も激し
かった。

北の湖も大鵬ににた道を歩んでいる。21際で横綱になり、
28歳から休場が多くなった。最後の優勝は29歳で14場所
ぶりであった。翌年の昭和60年1月の両国新国技館開設
まで痛々しい土俵を続けた。しかし、力つきて新国技館の
場所で1勝もできずに引退した。
千代の富士貢
<千代の富士>
 
驚異的なのが、千代の富士である。30歳を迎えた年以降
21回優勝している。それを可能にしたのは横綱寿命の長
さである。34歳を迎えた年まで毎年3回以上優勝している。
横綱になったのが、26歳で、大鵬・北の湖とは異なる。しか
し、これだけ長く続くとは横綱昇進当時、思わなかった。そ
れだけに優勝が31回になるとは想像もできなかった。
貴乃花は平成13年の五月場所14日目の武双山戦での負傷
がすべて奪い去る結果になった。このあと6場所全休、1場所
皆勤したが、またも全休。翌場所引退した。貴乃花は栄光に
包まれているからあまり感じないかもしれないが、致命傷が
すべてを奪った悲運の横綱であった。

朝青龍は30歳前に事実上強制引退したので、ここでは触れ
ない。
羽黒山 
<羽黒山>
 
6場所制以前は30歳がメドどころか、30歳で力を発揮する
力士がけっこういた。事実、玉錦・栃錦・若乃花は29歳で
横綱に昇進している。栃錦・若乃花は最終的には6場所制
だったが、それまでは様々な場所数を経てきている。双葉
山の陰にかくれた羽黒山が浮上したのは、29歳からであっ
た。
30際B
白鵬は30歳以降何回くらい優勝できるか。衰えや白鵬を
おびやかす存在は見当たらない。若くして横綱になった
点は大鵬や北の湖と同じなのだが、彼らほど衰えは感じ
られない。第一横綱での休場は1度しかない。この点が
大鵬・北の湖と大きく違う。年2回優勝して34歳を向かえ
る年まで取ると、30歳を迎える年以降、11回になると予想
するがいかがか。そのとき白鵬の優勝回数は42になる。
だが、白鵬は予想の上をいく可能性がある。 

6月梅雨の季節。雨の日がでてきました。
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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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