大相撲

安芸乃島と貴乃花の確執

2018年10月21日

元大関貴ノ花の弟子であった元安芸乃島が
なにゆえ高砂部屋から独立(のち破門)した
元前の山の高田川部屋を引き継ぐことになっ
たのか。いわば二所ノ関一門を離れてまで
他系統の部屋付き親方となったのか。その
いきさつは同門の2人の確執から始まった。
元大関貴ノ花が二子山(初代若乃花)部屋
から独立して藤島部屋をおこしたのは、昭和
55年のことであった。後に横綱2人、大関
1人をはじめ多くの関取を輩出した。その
幕内第1号が安芸乃島(当時安芸ノ島)で
あった。昭和63年三月場所のことであった。
このとき貴花田は前相撲を取っている。
06初 千秋楽 039
<貴乃花>

引退は貴乃花が早かった。2場所後の平成
15年五月場所安芸乃島が引退して藤島を襲名
した。ともに部屋付き(この当時は二子山
部屋)の親方として後進の指導にあたって
いた。しかし、安芸乃島の引退相撲に貴乃花
が出ないなど雲行きがあやしくなってきた。
そんなとき二子山(元貴ノ花)が入退院を
繰り返すようになっていた。
平成16年2月、貴乃花が二子山部屋継承し、
貴乃花部屋に改称した。5月、藤島は千田
川に年寄名跡を変更した。このころから指導
方針・考え方の違いにより貴乃花と元安芸乃
島の不仲は顕著になってきた。入退院を繰り
返していた二子山が夏から入院した。
安芸貴乃花年表A
元安芸乃島の千田川はついに部屋の移籍を
申し出るが、貴乃花はなぜか移籍許可書類に
承認の判を押さない。元安芸乃島の千田川は
破門を申し出るが、貴乃花は部屋への出勤
停止、出入り禁止を通知して、いき場のない
泥沼抗争に陥った。
平成16年9月、千田川は結局病床の二子山に
保証人として判をもらった。手をさしのべて
くれた高田川(元前の山)部屋に移籍した。
高田川部屋は当時高砂一門から破門され、
無所属になっていた。無所属2人は理事選
では出羽海一門に投票したと推測されたこと
があった。
06夏稽古 095
<元安芸乃島の千田川親方(後の高田川)>

平成21年8月、高田川の定年間近に年寄名跡
を交換して、元安芸乃島は高田川部屋を引き
継ぐことになった。建物は新築した。平成22
年、貴乃花が一門の意向を無視して理事選に
出馬して当選。今後貴乃花グループとして
まとまっていくことになった。その約1年後、
高田川部屋は二所ノ関一門に加わることに
なった。
兄弟子安芸乃島と横綱貴乃花のプライドから
おきたとされる2人の確執は、平成30年9月、
貴乃花が協会を離れることになって終焉を
迎えた。

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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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