大相撲

知られざる大横綱の連勝記録

2018年10月23日

連勝記録といえば、谷風、初代梅ヶ谷、太刀
山、双葉山、大鵬、千代の富士、白鵬の名前
が、あがってくるし、その連勝数はよく知ら
れている。それでは彼ら以外の大横綱はどの
ような連勝記録をもっているのだろうか、
調べてみた。

雷電(為)。横綱ではないが、江戸の超強豪
力士ということで雷電(為)ははずせない。
そもそも雷電(為)は横綱になれなかった
のではなかった。横綱が最初から後世まで
続く制度ではなく、谷風、小野川限りのもの
であった。そういう説があり、土俵の目撃者
はその説を支持している。
大関・雷電
<雷電>

雷電は生涯10敗しかしていない。引き分け・
預かり・無勝負を0.5勝0.5敗とすると勝率は
9割2分8厘である。ただし、同じ方屋とは
対戦しなかったという時代背景がある。引き
分け・預かり・無勝負は連敗を止めるモノ
ではないとしても、不出場の場所がけっこう
ある。これは連勝を止めるモノとする。

雷電の連勝記録は寛政9年の春場所から寛政
11年の冬場所までの1無勝負・4部分休場を
はさんで44連勝が最高である。

明治の角聖常陸山はどうか。常陸山は休場が
多く、3場所敗戦なしが最高である。新横綱
の明治38年春場所から3場所、引き分け・
預かり・痛みわけをはさみ22連勝がある。
自らの休場で連勝はストップした。
常陸
<常陸山のブロマイド>

栃木山。優勝9回だが、3連覇後に引退しな
ければ4、5回優勝回数が増えていたかも
しれない。大正6年春場所の関脇の8日目
から新横綱の8日目大関朝潮に負けるまで
預かりをはさんで29連勝している。朝潮に
勝っていたら、相手休みをはさんで55連勝
できたことになる。痛恨の1敗であった。
栃木山)絵葉
<栃木山のブロマイド>

玉錦は全勝優勝が1回ある。その前後で8連
勝している。通しで27連勝した。連勝は双葉
山から始まり双葉山に負けて終わった。双葉
山による連勝ストップはそのまま玉錦時代
から双葉山時代への変わり目であった。玉錦
は全勝優勝以降優勝ができず、双葉山は5場
所連続全勝優勝している。
横綱古写真(玉錦)-
<玉錦のブロマイド>

次回は羽黒山以降を取りあげる。

(この項目続く)

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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