大相撲

琴恵光の出世街道

2018年6月26日

琴恵光が苦節11年ついに新入幕を果たした。
祖父松恵山(立浪部屋)は十両までだった
ので、それを超えたことになる。もっとも
十両での実績ですでに超えていた。松恵山は
昭和30年春場所十両入りした。十両在位は
通算4場所である。最高位は十両17枚目で
ある。岩風との対戦がある。琴恵光の四股名
は祖父の四股名から1字とったものである。
琴恵光A
佐渡ヶ嶽部屋への入門は15歳のときであった。
前相撲は平成19年の三月場所である。少年
時代は相撲経験があるものの、中学では柔道
部に所属していた。序ノ口2場所、序二段
5場所かかって三段目に昇進した。しかし、
1場所で序二段に戻った。ここからが苦難で
あった。再三段目から15場所かかって幕下に
上がったものの1場所で三段目に落ち、定着
しなかった。

三段目は一進一退で通算23場所務めることに
なった。幕下に定着したのは再々幕下からで
あった。三段目時代は長かったが、幕下は
通算13場所で突破した。一般的に幕下は苦労
するケースが多いのだが、琴恵光は三段目に
比べると幕下は短かったといえる。
13024t十日目十両幕下 145藤本対琴恵光
<H25年9月 幕下時代の琴恵光(右)>

琴恵光は結局44場所かかって十両に昇進した。
この間の成績は172勝136敗○36であった。
優勝は1度もない。この点は旭大星に似て
いる。

琴恵光は、十両に昇進しても十両と幕下を
行ったり来たりするエレベーター力士であっ
た。最初の新十両のときは1場所しかもた
なかった。幕下1場所で十両に戻るも再び
幕下落ちとなった。2度十両1場所で幕下
に降格していて、まだ十両に定着できる力は
なかったのである。2度目の幕下降格で7場
所過ごしている。
141110二日目幕下 608
<H26年11月 新十両>

十両に定着したのは、再々十両のときである。
それでも十両を突破するのに12場所かかって
いる。この間8場所勝ち越している。最高
成績は11勝4敗が2度ある。再々十両では
97勝83敗で幕内昇進を決めた。着実に地力を
つけていた。
180526十四日目十両幕下以下 1472
<H30年5月 徳勝龍から11勝目をあげる>

琴恵光は長い時間をかけて入幕したわけだが、
年齢はまだ26歳である。左四つ寄り、押しの
前に出る相撲。体重は135キロ。琴恵光の
幕内での新たな戦いが始まらんとしている。

今年初めてスイカを食べました。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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