琴恵光は宮崎県延岡市出身の元幕内力士で、引退後は年寄・尾車を名乗っている。15歳で佐渡ヶ嶽部屋に入り、十両止まりだった祖父・松恵山(立浪部屋)を超えて、苦節11年で新入幕を果たした。十両まで44場所、十両を突破するのにも12場所かかった苦労人である。
※相撲記者・田口 通廣が新入幕の2018年6月に書いた記事をもとに、出身地・最高位・引退・年寄名を日本相撲協会の年寄プロフィール(2026年9月27日確認)で補った。

祖父・松恵山を超えた新入幕
琴恵光が苦節11年で、ついに新入幕を果たした。祖父の松恵山(立浪部屋)は十両までだったので、それを超えたことになる。もっとも十両での実績で、すでに超えていた。
松恵山は昭和30年春場所に十両入りし、十両在位は通算4場所、最高位は十両17枚目。岩風との対戦がある。
琴恵光の四股名は、祖父の四股名から1字をとったものである。
15歳で佐渡ヶ嶽部屋へ|三段目は通算23場所
佐渡ヶ嶽部屋への入門は15歳のとき。前相撲は平成19年の三月場所だった。少年時代に相撲の経験はあったが、中学では柔道部に所属していた。
序ノ口2場所、序二段5場所で三段目に上がったが、1場所で序二段に戻った。ここからが苦難だった。
再び上がった三段目から15場所かかって幕下に上がったものの、1場所で三段目に落ちて定着しなかった。三段目は一進一退で、通算23場所を務めることになった。

幕下は13場所で突破|十両まで44場所
幕下に定着したのは3度目の幕下からだった。三段目時代は長かったが、幕下は通算13場所で突破した。
田口は、一般に幕下は苦労するケースが多いが、琴恵光は三段目に比べると幕下は短かったと見ている。
結局、十両昇進まで44場所かかった。この間の成績は172勝136敗で、優勝は一度もない。田口は、この点は旭大星に似ていると書く。
十両と幕下を往復したエレベーター力士
十両に上がってからも、琴恵光は十両と幕下を行ったり来たりするエレベーター力士だった。最初の新十両は1場所しかもたなかった。
幕下1場所で十両に戻るも、再び幕下へ落ちた。2度とも十両1場所で幕下に降格しており、まだ十両に定着する力はなかった。2度目の幕下降格では7場所を過ごしている。

十両に定着したのは3度目の十両のときである。それでも十両を突破するのに12場所かかった。
この間に8場所勝ち越し、最高成績は11勝4敗が2度ある。3度目の十両では97勝83敗で幕内昇進を決め、着実に地力をつけていた。

長い時間をかけての入幕だったが、年齢はまだ26歳。左四つ寄り、押しの前に出る相撲で、体重は135キロだった。
その後の琴恵光|最高位は前頭四枚目、今は尾車親方
日本相撲協会の年寄プロフィールでは、新入幕は平成三十年七月場所、最高位は前頭四枚目、引退場所は令和六年五月場所。通算成績は531勝542敗14休(102場所)、幕内では188勝238敗9休(29場所)である。
引退後の年寄名は尾車で、所属は佐渡ヶ嶽部屋となっている(2026年9月27日確認)。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 柏谷 充隆 |
| 出身地 | 宮崎県延岡市 |
| しこ名 | 琴柏谷→琴恵光 |
| 所属部屋 | 佐渡ヶ嶽 |
| 初土俵 | 平成十九年三月場所 |
| 新十両 | 平成二十六年十一月場所 |
| 新入幕 | 平成三十年七月場所 |
| 最高位 | 前頭四枚目 |
| 引退場所 | 令和六年五月場所 |
| 年寄名 | 尾車 |
よくある質問
Q. 琴恵光は今なにをしていますか?
A. 令和六年五月場所で引退し、年寄・尾車として佐渡ヶ嶽部屋に所属している(日本相撲協会の年寄プロフィール、2026年9月27日確認)。
Q. 琴恵光の祖父はどんな力士ですか?
A. 立浪部屋の松恵山。昭和30年春場所に十両入りし、最高位は十両17枚目だった。琴恵光の四股名は祖父の四股名から1字をとっている。
Q. 琴恵光は十両まで何場所かかりましたか?
A. 44場所。この間の成績は172勝136敗で、優勝は一度もなかった。
Q. 琴恵光の最高位は?
A. 前頭四枚目。新入幕は平成三十年七月場所である。
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