MENU

記録からみた優勝決定戦

九月場所は関脇御嶽海と関脇貴景勝の間で
優勝決定戦がおこなわれた。その結果御嶽海
が2回目の優勝を達成した。関脇同士の優勝
決定戦は史上初であった。平成24年は五月
場所では、史上初の平幕同士の優勝決定戦が
あった。旭天鵬が栃煌山に勝って初優勝した
ことは記憶に新しい。優勝決定戦にはどんな
記録があるのか、調べてみた。
羽黒山 
<羽黒山のブロマイド>

優勝決定戦は昭和22年秋場所から始まった。
戦後どん底の大相撲をなんとか盛り上げたい
と協会に相撲記者クラブが協力するカタチで
考案した。それまでは同成績者がいた場合、
番付上位者が優勝となっていた。スタート
した場所でいきなり4人が同成績となった。
横綱羽黒山、大関前田山、大関東富士、前頭
8枚目力道山である。このときは番付どおり
羽黒山が優勝した。しかし、力道山が果敢に
羽黒山を攻め立て、あわやという場面があり、
優勝決定戦は大成功となった。
190108奉納土俵入り 506
<白鵬>

優勝決定戦の最多出場はまず、大鵬が6回

出場した。成績は5勝2敗であった。5勝の
なかには巴戦での2勝が含まれている。柏戸
に2勝している。時代は進み、北の湖は8回
出場して記録を更新した。成績は3勝5敗と
負け越している。若三杉(のちの2代目若乃
花)に2勝、貴ノ花に2敗している。さらに
貴乃花が10回出場を果たして記録を更新して
いる。成績は6勝5敗であった。4人トーナ
メントで2勝している。武蔵丸に4勝、貴ノ
浪に2敗している。同じ優勝決定戦出場数
10回に白鵬がいる。成績は6勝4敗である。
鶴竜に2勝、朝青龍に1勝3敗である。
最多勝利はどういう記録の変遷を辿ったのか。
大鵬が5勝(2敗)をあげ、しばらくは破る
者がいなかった。ところが千代の富士が6勝
(0敗)と負けなしで記録を抜いてしまった。
勝率は10割でこれ以上はない。朝潮に3勝
している。貴乃花が6勝(5敗)、白鵬が
6勝(4敗)と並んでいる。実は、彼ら以上
に勝った者がいる。最多勝利最高記録は曙
である。7勝(3敗)である。貴乃花、武蔵
丸に2勝1敗の成績を残している。
曙 横綱土俵入り
<曙>

優勝決定戦における関脇以下の下克上優勝は
どれくらいあるのだろうか。左が優勝者である。
昭和23年秋場所 関脇増位山対大関東富士
昭和31年春場所 関脇朝汐大関対若ノ花
※巴戦の最初の一番
昭和37年三月場所 関脇佐田の山対横綱大鵬
昭和49年十一月場所 小結魁傑対横綱北の湖
昭和56年一月場所 関脇千代の富士対
横綱北の湖
平成11年一月場所関脇千代大海対横綱若乃花
平成11年七月場所 関脇出島対横綱曙
7回ある。横綱北の湖は2回登場している。
優勝決定戦は様々なドラマをみせてくれる。
負傷をおして優勝の栄冠に輝いた貴乃花、
稀勢の里は忘れられない一番として記憶に
残り続けるであろう。

池袋方面に行ってきました。

興味深いテーマをこれからもお届けします。
マーク2カ所をクリックして支援して
ください。
よしなに
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
にほんブログ村 

相撲 ブログランキングへ 

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑ 

ブログランキング

当サイトはブログランキングに参加しております。記事をよんでいただいたら、以下バナーをクリックいただくと、ランキングに反映されます、1日1クリックよろしくおねがいします
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

目次