大相撲

記録からみた優勝決定戦

2019年10月24日

九月場所は関脇御嶽海と関脇貴景勝の間で
優勝決定戦がおこなわれた。その結果御嶽海
が2回目の優勝を達成した。関脇同士の優勝
決定戦は史上初であった。平成24年は五月
場所では、史上初の平幕同士の優勝決定戦が
あった。旭天鵬が栃煌山に勝って初優勝した
ことは記憶に新しい。優勝決定戦にはどんな
記録があるのか、調べてみた。
羽黒山 
<羽黒山のブロマイド>

優勝決定戦は昭和22年秋場所から始まった。
戦後どん底の大相撲をなんとか盛り上げたい
と協会に相撲記者クラブが協力するカタチで
考案した。それまでは同成績者がいた場合、
番付上位者が優勝となっていた。スタート
した場所でいきなり4人が同成績となった。
横綱羽黒山、大関前田山、大関東富士、前頭
8枚目力道山である。このときは番付どおり
羽黒山が優勝した。しかし、力道山が果敢に
羽黒山を攻め立て、あわやという場面があり、
優勝決定戦は大成功となった。
190108奉納土俵入り 506
<白鵬>

優勝決定戦の最多出場はまず、大鵬が6回

出場した。成績は5勝2敗であった。5勝の
なかには巴戦での2勝が含まれている。柏戸
に2勝している。時代は進み、北の湖は8回
出場して記録を更新した。成績は3勝5敗と
負け越している。若三杉(のちの2代目若乃
花)に2勝、貴ノ花に2敗している。さらに
貴乃花が10回出場を果たして記録を更新して
いる。成績は6勝5敗であった。4人トーナ
メントで2勝している。武蔵丸に4勝、貴ノ
浪に2敗している。同じ優勝決定戦出場数
10回に白鵬がいる。成績は6勝4敗である。
鶴竜に2勝、朝青龍に1勝3敗である。

最多勝利はどういう記録の変遷を辿ったのか。
大鵬が5勝(2敗)をあげ、しばらくは破る
者がいなかった。ところが千代の富士が6勝
(0敗)と負けなしで記録を抜いてしまった。
勝率は10割でこれ以上はない。朝潮に3勝
している。貴乃花が6勝(5敗)、白鵬が
6勝(4敗)と並んでいる。実は、彼ら以上
に勝った者がいる。最多勝利最高記録は曙
である。7勝(3敗)である。貴乃花、武蔵
丸に2勝1敗の成績を残している。
曙 横綱土俵入り
<曙>

優勝決定戦における関脇以下の下克上優勝は
どれくらいあるのだろうか。左が優勝者である。

昭和23年秋場所 関脇増位山対大関東富士
昭和31年春場所 関脇朝汐大関対若ノ花
※巴戦の最初の一番
昭和37年三月場所 関脇佐田の山対横綱大鵬
昭和49年十一月場所 小結魁傑対横綱北の湖
昭和56年一月場所 関脇千代の富士対
横綱北の湖
平成11年一月場所関脇千代大海対横綱若乃花
平成11年七月場所 関脇出島対横綱曙

7回ある。横綱北の湖は2回登場している。

優勝決定戦は様々なドラマをみせてくれる。
負傷をおして優勝の栄冠に輝いた貴乃花、
稀勢の里は忘れられない一番として記憶に
残り続けるであろう。

池袋方面に行ってきました。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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