この記事は、歴代横綱が新入幕から横綱昇進まで何場所かかったか(所要場所数)を田口が調べ、最速から遅咲きまで並べたものである。最速は大鵬で、入幕した年に優勝し、その1年後には新横綱だった。次いで双羽黒もスピード出世。大関在位の最短は朝青龍の3場所で、年6場所制の大関在位では最短タイ記録である。逆に時間がかかったのは稀勢の里の73場所(12年以上)、序二段まで陥落してから復活した照ノ富士の44場所(7年以上)で、白鵬も大関時代の全休が響いて19場所かかった。
▶▶ 横綱昇進を決めた成績は横綱昇進を決めた成績、昇進・引退の年齢は横綱の昇進年齢と引退年齢へ。
※所要場所数は新入幕から横綱としての最初の場所まで。対象は15日制・横綱審議委員会誕生以降の千代の山以降の横綱。
照ノ富士は大関降格後、番付を序二段まで
落としながら幕内に復活した。それだけでは
ない。ついには横綱にまでのぼりつめたので
ある。照ノ富士の新入幕は2014年三月場所で
ある。それから44場所かけて横綱に昇進した。
実に7年以上かけての横綱であった。

横綱は新入幕からどれくらいの場所数をかけ
て昇進するのか、調べてみた。対象は15日制
及び横審議誕生以降の千代の山以降とした。
場所数が少なかった時代の常陸山以降の東京
横綱は参考としてあげておく。それが以下で
ある。数字は新入幕から横綱昇進までにかか
った所要場所数である。


大鵬は入幕した年に優勝し、優勝した1年後
は新横綱だった。期待の新星は予想を超える
スピード出世だった。これに次ぐのが双羽黒
である。優勝経験がない横綱、横綱の途中で
師匠と対立して協会を辞めていったイメージ
が強かったが、意外とスピード出世だった。
ただ、千代の富士に頭をおさえられた存在
だった。

朝青龍のときは横綱の端境期だった。武蔵丸
は晩年で休場が多かった。朝青龍に対抗でき
る者はいなく、あっさり横綱昇進を決めた。
大関在位は3場所だった。これは年6場所制
の大関在位では最短タイ記録である 。記録男
白鵬は大関時代、ケガで全休したことが影響
し、新入幕から19場所かかった。

新入幕後十両落ちした力士が8人いる。北の
湖、栃ノ海、2代目若乃花、貴乃花、千代の
富士、照ノ富士、隆の里、琴櫻である。隆の
里は新入幕後通算7場所十両にいた。千代の
富士は幕下にまで落ちている。千代の富士は
投げ中心でよく脱臼していた。照ノ富士は
十両4場所、幕下4場所三段目3場所序二段
1場所を経て奇跡の横綱昇進を達成した。
その照ノ富士より時間がかかったのが、旭
富士、武蔵丸、3代目若乃花、日馬富士、
隆の里、琴櫻、三重ノ海、稀勢の里である。
稀勢の里の行くところ常に人が集まる。横綱
になった稀勢の里の人気はもの凄かった。
横綱を待望されながら、稀勢の里が横綱に
なったのは、新入幕から73場所を要してから
だった。12年以上かかっての遅咲きだった。
致命的な負傷さえなければと今でも惜しま
れる。

横綱昇進までの所要場所数についてよくある質問
Q. 新入幕から最速で横綱に昇進したのは誰ですか?
大鵬です。入幕した年に優勝し、その1年後には新横綱でした。次いで双羽黒もスピード出世でした。
Q. 大関から横綱まで最短だったのは誰ですか?
朝青龍で、大関在位はわずか3場所。これは年6場所制の大関在位では最短タイ記録です。
Q. 逆に横綱昇進まで最も時間がかかったのは誰ですか?
稀勢の里で、新入幕から73場所(12年以上)を要しました。照ノ富士は序二段まで落ちてから復活し、44場所かけて昇進しています。
▶ 横綱データ:昇進を決めた成績は横綱昇進を決めた成績 | 昇進年齢・引退年齢は横綱の昇進年齢と引退年齢 | 引退年齢の一覧は横綱の引退年齢番付 | 勝率・優勝率・出場率は横綱の勝率・優勝率・出場率ランキング
相撲専門誌をチェック。
興味深いテーマをこれからもお届けします。