蔵前国技館は、いまの両国国技館(昭和60年〜)の前に大相撲の本場所が開かれていた国技館である。昭和25年に仮設で始まり、昭和29年秋場所に完成して、昭和59年(1984年)まで約31年使われた。場所は台東区蔵前(浅草橋・両国から歩いて10分)で、跡地はいま東京都下水道局の北部下水道事務所になっている。
相撲記者・田口 通廣が、蔵前国技館を語るテーマで呼ばれた際にまとめた予備知識(2025年6月)。跡地のいまは東京都と東京都下水道局の案内で確かめた(2026年9月27日)。いまのチケットの取り方は大相撲チケットの取り方にある。
「国技」という呼び方に法律の裏づけがあるのかは、相撲は国技かで答弁書と定款から確かめている。
蔵前国技館はいつからいつまで?
蔵前仮設国技館で本場所が始まったのは昭和25年で、国技館が完成したのは昭和29年の秋場所だった。約31年使ったのち、昭和60年から今の両国国技館に移っている。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 昭和22〜24年 | 旧両国国技館が占領軍に接収され、東京場所は明治神宮外苑や浜町の仮設国技館で開く。大阪でも本場所 |
| 昭和25年 | 蔵前仮設国技館で本場所が始まる |
| 昭和29年秋場所 | 蔵前国技館が完成(このときの横綱は東富士・千代の山・鏡里・吉葉山) |
| 昭和45年 | 冷暖房設備が完成 |
| 昭和59年 | 約31年の使用を終える |
| 昭和60年 | いまの両国国技館で本場所が始まる |
なぜ蔵前に国技館が建てられたのか
旧両国国技館、いわゆるメモリアルホールは、戦後に占領軍へ接収された。日本人立ち入り禁止の立て札が立ち、大相撲は開催場所を求めて、しばらくジプシーのような状態が続いた。
東京場所は明治神宮外苑や浜町の仮設国技館で興行し、大阪でも本場所を開いた。昭和22年から24年までのことである。
そこで、戦前に購入して倉庫会社に貸していた蔵前の土地に、国技館を建てることにした。海軍の飛行機組み立て工場を解体した払い下げの鉄骨で骨組みを組み、屋根と囲いはトタンぶきの突貫工事で間に合わせた。

蔵前国技館の特徴|「夏は暖房、冬は冷房」
蔵前国技館が完成した昭和29年秋場所の横綱は、東富士・千代の山・鏡里・吉葉山だった。この4人がそろった時期は4横綱時代とは|歴代16回の一覧にも載せている。
蔵前国技館は「夏は暖房、冬は冷房」と長いあいだ言われてきた。元双葉山の時津風理事長は「熱戦であったまってくれ」と語っていた。冷暖房設備は昭和45年のうちに完成している。
とにかく広かった館内
蔵前国技館は、とにかく広かった。お茶屋は外付けで、その奥と正門から入った。支度部屋の出入り口の前まで行くことができ、その前の通路で反対の方屋の出入り口にも回れた。
支度部屋から外に出ると駐車場で、駐車場に立つと前後に開く窓から支度部屋がのぞけた。2階のイス席は急斜面ではなく、2階のいちばん後ろには低くなった通路があった。
百聞は一見にしかずで、ちばてつや作の漫画「のたり松太郎」に詳しく描かれている、と田口は書いている。

蔵前国技館と両国国技館の違い
蔵前国技館の鉄骨は、旧海軍航空隊の飛行場の工場を組み立てたものだった。そのため約31年使ったのち、新しい国技館に場所を移した。新しい国技館を建てることは一代の事業だった。
| 蔵前国技館 | 両国国技館(いま) | |
|---|---|---|
| 使われた期間 | 昭和25年(仮設)〜昭和59年(約31年) | 昭和60年〜 |
| 建った経緯 | 占領軍の接収で開催地を失い、旧海軍の払い下げ鉄骨で建設 | 一代の事業として新設 |
| 場所 | 台東区蔵前(浅草橋・両国から徒歩10分) | 両国 |
| 冷暖房 | 昭和45年に設備が完成。それまでは「夏は暖房、冬は冷房」 | — |
今の両国国技館では、北の湖・千代の富士・北勝海から大の里までの横綱が土俵に上がった。もっとも北の湖は、新しい国技館で2日間土俵に上がって連敗し、引退している。
田口がこの記事を書いた2025年6月の時点で、両国国技館は使われ始めて41年目に入っていた。蔵前国技館を知っている人は、年々減っていく。いまの国技館の案内は両国国技館ガイドにまとめている。
蔵前国技館の跡地の現在|東京都下水道局の北部下水道事務所
蔵前国技館の跡地は、いまは東京都下水道局の北部下水道事務所になっている(東京都の地域資源の紹介ページ・両国国技館の項)。
その敷地には下水道局の見学施設「蔵前水の館」があり、蔵前国技館の跡地の名残として歴代力士の手形を展示している。ただし設備の老朽化のため、2025年4月1日から休館している(東京都下水道局の見学案内と施設の紹介。2026年9月27日確認)。
蔵前国技館についてよくある質問
Q. 蔵前国技館はどこにありましたか?
台東区蔵前で、浅草橋・両国から歩いて10分の場所でした。地下鉄でも行けました。
Q. 蔵前国技館の跡地はいまどうなっていますか?
東京都下水道局の北部下水道事務所になっています。局の見学施設「蔵前水の館」は国技館の跡地の名残として歴代力士の手形を展示していますが、2025年4月1日から休館しています。
Q. 蔵前国技館はいつまで使われましたか?
昭和25年に仮設で始まり、昭和29年秋場所に完成して、昭和59年(1984年)まで約31年使われました。昭和60年からは今の両国国技館です。
Q. 蔵前国技館と両国国技館の違いは?
蔵前国技館は、占領軍の接収で開催地を失った大相撲が旧海軍の払い下げ鉄骨で建てた施設でした。冷暖房設備が整ったのは昭和45年です。両国国技館は、昭和60年から使われている新しい国技館です。
Q. なぜ蔵前に国技館を建てたのですか?
旧両国国技館が占領軍に接収され、大相撲が開催場所を失ったためです。戦前に買って倉庫会社に貸していた蔵前の土地に建てました。
Q. 蔵前国技館が完成したときの横綱は?
昭和29年秋場所の完成時は、東富士・千代の山・鏡里・吉葉山の4人が横綱でした。
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