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知られざる旧両国国技館

沖縄で開催されるAKB総選挙が、悪天候の
ため公民館で無観客選挙になった。開催場所
はビーチだが、すでに田んぼのような状態だ
という。さらに天候は連日雨だという。いま
さらながら野外興行の難しさを感じさせる。
以前、大相撲史を真二つに分けるとしたら、
常設館以前と以後ということを書いた。野外
興行は千秋楽がいつになるかわからなかった。
30日以上かかった場所さえあった。中には
天候が回復せず、途中で打ち切りになった
場所もあった。ちなみに徳俵は土俵にたまっ
た雨水をはきだすために設けられている。
国技館
<旧両国国技館の絵葉書>

旧両国国技館は知られているようで知られて
いない。天候に左右されない常設館の機運は
明治39年に起こった。目的は天候だけでなく、
外国人にきちんとしたカタチで観戦していた
だくことも含まれていた。設計者は近代建築
の第一人者辰野金吾である。そして2年弱の
工期で明治42年に完成した。場所は本所区
両国元町。現在の回向院あたりにあたる。
屋根は円形で、ガラスばりにして光をとる姿
にした。
収容人員は13000人で現在の両国国技館より
多い。正面に貴賓席があった。一般観覧席は
土間から4階までで、土間の桟敷は16雛壇。
6人桝が1000桝あった。建設の中心となった
のは、雷(元初代梅ヶ谷)と友綱(元海山)
であった。土地代3万円、工費27万円で現在
だと30億円くらいに相当する。
葉書】両国国技館内
<旧両国国技館内の絵葉書>

苦心の末完成した両国国技館は火災がつき
ものだった。大正6年に火災で全焼した。
大正9年に再建したのもつかの間、大正12年
の関東大震災で再び焼失してしまう。大正
14年再々建した。太平洋戦争の開始とともに
陸軍に接収される運命となった。そして昭和
20年の東京大空襲でまたも焼失してしまう。
戦後メモリアルホールに改称され、GHQに
接収された。その後国際スタジアム、日大
講堂、両国シティコアと姿を変え、旧両国
国技館の姿は永遠に失われてしまった。

うっちゃりトークに行ってきました。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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