★綾川五郎次は史実として横綱だったのか
綾川五郎次は、日本相撲協会によって「第2代横綱」として正式に
公認されていますが、史実として当時「横綱」という地位や免許が
存在したわけではありません。現代の歴史学や相撲史において、彼
は初代の明石志賀之助や3代の丸山権太左衛門とともに「伝説上の
横綱(後付けの公認)」とみなされています。
史実と異なる理由当時の最高位は「大関」綾川五郎次が活躍した江
戸時代中期(1740年代頃)には、まだ「横綱」という明確な地位は
存在せず、最高位は「大関」(または関脇・小結)でした。
スポンサーリンク
後世の「言い伝え」が根拠彼が歴代横綱に数えられているのは1789
年(寛政元年)に谷風と小野川が初めて正式な「横綱免許」を授与
された際、家元の吉田司家が提出した書類に「過去に丸山と綾川に
も与えたという言い伝えがあるが、記録は火災で焼失した」と書か
れていたためです。

明治時代に正式決定。1900年(明治33年)第12代横綱の陣幕久五郎
らが富岡八幡宮に「横綱力士碑」を建てた際に、この言い伝えをベ
ースにして綾川を第2代、丸山を第3代として碑に刻み、それがの
ちに相撲協会の公式認定へとつながりました。
実在した強豪力士(関脇など)であったことは当時の番付から確認
されていますが、現役当時に横綱を名乗っていたり、横綱の特権を
持っていたりしたという史実としての証拠はありません。
よく読まれているランキング
次の本場所|大相撲 秋場所2026(9/13〜27・両国国技館)
スポンサーリンク