大相撲

昭和・平成の10大ニュース8 両国国技館誕生

2015年11月17日

蔵前国技館は海軍の飛行機組み立て工場の解体した鉄骨
で建てたため、老朽化が進んだ。建て直すか、新たに建
てるかという中、両国駅前に国鉄(現JR)の用地があ
り、早くから交渉に入ったのが功を奏した。蔵前の土地
も都が買収し、具体的に話が進んだ。昭和57年から設計
にはいり、昭和59年11月30日に完成した。

建物は94メートル四方、高さ40メートル、地上3階、地
下2階の近代的建築。緑の総銅版ぶき大屋根が建物を象
徴する華やかさを表していた。土俵や桟敷が移動式にな
っており、多目的ホールとして使用ができる。また雨水
はトイレの水として使用されている。
両国国技館
<両国国技館>

蔵前国技館の支度部屋が駐車場から覗けたが、両国国技
館の支度部屋は隔離されている。また、両国国技館の2
階席は蔵前国技館に比べ急角度である。

総工費150億円、これを春日野理事長(元横綱栃錦)と
二子山事業部長(元横綱初代若乃花)のコンビは無借金
でやり遂げた。今年で完成から31年たつが、一大事業は
今も色あせるこなく、悠々と両国にそびえ建っている。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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