2年連続学生横綱を引き下げてプロ入りした。日大相撲部の隣にあ
った花籠(元大ノ海)部屋に入門した。通常は卒業見込みの三月場
所が初土俵だが、輪島は一月にデビューした。幕下付け出しでスタ
ートした。いきなり7戦全勝優勝を成し遂げた。さらに翌場所も幕
下で7戦全勝優勝してしまった。こんな例はこれまで聞いたことが
なかった。輪島はいつしか蔵前の星と呼ばれるようになった。
学生出身力士で注目された先人に大関豊山(前名内田)がいた。そ
の後の輪島の出世は豊山に及ばなかったが、それなりに強くなって
いった。だが、豊山越えしたのが昭和48年五月場所後の横綱昇進だ
った。全勝優勝だった。相撲の天才児は、ついに頂点を極めたので
ある。輪島の横綱昇進から52年後を経て大の里が学生出身横綱2人
目になった。

横綱審議委員の石井光次郎氏は「輪島はマシーンのような強さ」と
語っている。神風氏は「羽黒山の堅実さ、強さと安藝ノ海のうまさ
をあわせたのが、輪島の相撲」と評している。玉の海氏は「すり足、
あごがあがらない、腰を落として攻める。大胆な中に緻密さがある」
と賞賛する。大鵬は「攻撃から防御、防御から攻撃と相撲にリズム
がある。輪島の強さの一番のポイントは腰の中心点に寸分のくるい
もないということだ。投げを打つときの体の開きは天才的」と絶賛
である。
土俵の中で下手投げはうってはいけない、くってもいけないと言わ
れた。だが、輪島は左下手投げを得意とした。単なる下手投げでは
なかった。「輪島は右からのおっつけが強烈なんだよ」と北の富士
は証言していた。右おっつけ左下手投げに北の湖が苦戦した時期が
あった。黄金の左と黄金のまわしが輪島の特長だった。

花籠が定年を迎えた場所で輪島が引退した。輪島は花籠部屋を継い
だ。昭和56年3月であった。師匠の先代花籠は約半年後に急逝した。
元輪島の年寄花籠は親方として汚点を残した。妹のちゃんこ店経営
失敗のため、借金を申し込んださい花籠の株を担保にしたのである。
そのため輪島は協会を去ることになった。栄光からの転落であった。
輪島の金星配給率をみていこう。横綱時代の平幕戦は256勝39敗で
ある。金星配給率13.2%である。平幕戦が7番あれば0.9個配給す
ることになる。1場所最多金星配給は3個で3場所ある。フル出
場して金星ゼロは17場所に及んだ。高見山に6個、豊山(前名長
浜)に4個提供している。
▶ 玉錦から輪島までの横綱23人の金星配給率をひとつの表にまとめた横綱の金星配給率 一覧で、ほかの横綱と並べて見られる。