2022年4月– date –
-
三賞の4連続以上の受賞4
引き続き4連続三賞受賞者をみていこう。 ■保志 6連続受賞保志は昭和58年九月場所、20歳で入幕した。相撲は突き押しを中心とした。入幕3場所目で小結、なおかつ上位に定着した。入幕9場所目からは関脇・小結に定着するようになった。若さあふれるスピ... -
横綱初休場の翌場所の成績
三月場所は、思いがけず横綱照ノ富士が休場した。横綱になって4場所目の初休場であった。一人横綱であり、場所前の優勝候補として欠かせない存在であった。これまで両膝の心配はあったが、のりこえてきた。それが三月場所は後退するともたなかった。もっ... -
豊昇龍の今後
三月場所、豊昇龍は新小結であった。これは前の場所で、上位で勝ち越しによる昇進ではなかった。幕内中位での11勝4敗という大勝ちによるものである。それだけにどういう結果を残すか気になっていた。千秋楽、優勝圏内の3敗琴ノ若に勝って勝ち越した。小... -
関脇以下の優勝争い6
引き続き千秋楽を迎えて優勝圏内が関脇以下の場所をみていこう。 平成30年一月場所、横綱白鵬・稀勢の里は休場。横綱鶴竜、大関豪栄道・高安が出場。そんななか、前頭3枚目の栃ノ心が初日から6連勝。7日目、鶴竜に敗れたもののその後も連勝。10連勝して... -
令和消えた一番
さる三月場所は大関正代対大関御嶽海戦がなかった。それだけではない。大関正代対関脇阿炎戦、大関貴景勝対関脇阿炎戦もなかった。その背景には幕内中位の高安、琴ノ若が勝ちあがってきたことである。それだけではない。止め役の大関が負けてしまったこと... -
2022年五月場所番付の視点
五月場所の番付が発表された。御嶽海が初めて大関のトップに位置した。 関脇・小結は若隆景、阿炎、豊昇龍の3力士が勝ち越したため、空き枠が1つしかなかった。だが、高安、逸ノ城、霧馬山、琴ノ若、大栄翔と候補者は目白押しである。結局東前頭筆頭で8... -
三賞の4連続以上の受賞3
ここまで7人の4連続三賞受賞者をとりあげ、今回の4人をみると法則性が見えてきた。それは将来横綱・大関になった者が多いことである。 ■千代の富士 5連続受賞千代の富士は脱臼癖がつきまとっていた。そのうえ取り口に投げが多いため、なかなか出世で... -
朝乃山の復帰
朝乃山が土俵から姿を見せなくなって久しい。厳密には2021年五月場所の12日目からである。きたる五初場所まで出場停止が続くから1年以上になるわけである。 朝乃山が出場停止になった理由は以下である。・コロナ禍での外出禁止期間に何度もキャバクラに通... -
関脇以下の優勝争い5
千秋楽を迎えて優勝圏内が関脇以下の場所をみていこう。 平成4年、弟貴花田が2回優勝を達成した。兄若花田が存在感を示したのが平成5年三月場所であった。小結若花田は3日目大関小錦を倒して7連勝。8日目こそ1敗したものの、勢いは止まらず12日目同... -
三賞の4連続以上の受賞2
引き続き三賞の4連続以上の受賞力士をピックアップしていこう。 ■貴ノ花 4連続受賞2回横綱若乃花の弟として注目された角界のプリンス貴乃花。彼は期待に応えて三賞の常連になった。4連続受賞を2回にわたり成し遂げている。 1回目は昭和46年三月場所... -
15日間興行
格闘技は柔道やレスリングのように組むか、ボクシングや空手のように離れて戦うかであった。ところが、相撲は両方の要素があると指摘してきた。今度は別の面から大相撲の特徴をピックアップさせてみよう。 <初日賜杯の返還、千秋楽三役揃いぶみの定例行事... -
関脇以下の優勝争い4
昭和59年九月場所は蔵前国技館最後の興業となった。3横綱、4大関と番付は豪華だが、優勝を争ったのは平幕の小錦と多賀竜であった。千秋楽を迎え、1敗は多賀竜、2敗が小錦であった。横綱・大関は以下の成績だった。 <多賀竜> 北の湖 途中休場隆の里... -
三賞の4連続以上の受賞1
三賞は終戦の翌年、昭和21年に大相撲の人気回復策として報道陣の提案で誕生した。優勝ができる力士は限られているだけに、三賞はファンに新しい関心事として歓迎された。 三賞が施行されたのは昭和22年秋場所からである。今回のテーマは三賞の4連続以上の... -
令和幕内・十両休場事情
三月場所は令和に入って17場所目だった。この場所は幕内・十両の休場力士が3人と最少タイ記録となった。これは昨年の十一月場所と並んだわけである。不戦敗を含み、休場日数は昨年十一月場所33に対し、今年の三月場所は22と上回った。 <三月場所の案内>... -
関脇以下の優勝争い3
昭和50年七月場所、横綱輪島全休、大関貴ノ花途中休場。残った横綱北の湖、大関魁傑は大不調の場所となった。 そんな中で浮上したのが前頭筆頭の金剛と平幕中位の青葉城であった。このときはともに二所ノ関の部屋であったため直接の対戦はなかった。千秋楽... -
2022年五月場所チケット事情
2022年五月場所のチケットが4月9日一般発売されてから一週間経った。大幅な変更は通常マス席S・マス席Aが定員4名になったことである。これは変形同マス席でも定員となる。また、ボックス席も定員4ないし5名となる。2階イス席は全席使用である。 購... -
相撲部屋最新事情
相撲部屋の栄枯盛衰はこの世の常であるが、定年とともに終わりを迎える部屋がある。三月場所はかつての尾車(元琴風)部屋の力士の所属が2通りの場内紹介に変わった。これは尾車親方が定年を前にして、三月場所の大阪宿舎のメドがたたないため、早めに部... -
関脇以下の優勝争い2
引き続き関脇以下の優勝争いをみていこう。昭和47年三月場所、千秋楽を迎えて関脇長谷川は3敗、平幕魁傑も3敗であった。昭和47年の最初の4場所は一人横綱北の富士が不調、大関琴櫻・清國・前の山・大麒麟はあてにならない存在だった。混乱のなかで突如... -
令和新入幕事情
令和に入って17場所が経過した。令和3年、新入幕が2人で極端に少なかったとこれまで書いてきた。だが令和そのものが、新入幕力士が少ないのであった。令和17場所で新入幕が13人である。その内訳は2人が2場所、1人が9場所、0人が6場所である。 <豊... -
大相撲通常開催の意味
五月場所のチケットが9日発売された。五月場所からマス席S・マス席Aは端など特別な区域以外は4人マスとなる。ボックス席も従来通り4人または5人となる。 たまり席は以前からフル使用であった。イス席は間隔を開けずにフルに使用する。イス席フル使用... -
関脇以下の優勝争い1
三月場所は関脇若隆景、平幕高安・琴ノ若の優勝争いになった。横綱・大関は何をしていたのか。横綱照ノ富士は途中休場、大関正代は9勝、貴景勝は8勝に終わり、御嶽海は4敗して優勝圏外だった。 <若隆景> ここでいう優勝争いとは千秋楽を迎え、優勝圏... -
大麒麟と酷似する高安
14日目正代、千秋楽阿炎、優勝決定戦若隆景と3連敗し、優勝をのがした高安。優勝のチャンスを土壇場でものにできなかった。実はこれが初めてではない。これで3度目である。 <三月場所優勝決定戦 高安、若隆景に敗れる> 前回は2021年三月場所であった... -
阿炎の上位戦を分析
三月場所の見どころの1つに関脇に上がった阿炎の戦いぶりがあった。幕内に復帰しての2場所は12勝、12勝と大活躍した。横綱・大関戦もあった。 ただ、これらはあくまでも幕内下位、中位での成績だった。横綱・大関戦も部分対戦だった。三月場所は連日上位... -
揺れた三月場所大相撲中継
三月場所は関脇、平幕の優勝争いという予想がつかない展開となった。それは大相撲中継にもいえることだった。BSは13時から始まり、土日・祝日はBS102、平日はBS101というのが通例だった。三月場所の放送は以下となった。 初日 BS~15時30分 総合左... -
横綱審議委員会の存在意義って何
綱審議委員会のメンバーに池坊保子氏と俳優の紺野美沙子氏が加わることになった。メディアでは女性という点が協調されていたが、特別こだわらないほうがいい。 ただ、これまで横綱審議委員会というと有名人・社会的地位のある方で占められてきた経緯がある... -
危惧される年間最多勝
昨年は照ノ富士が77勝13敗とハイベネルな数字で年間最多勝に輝いた。優勝は4回だった。それまで低レベルな年間最多勝が続いた。 2017年 白鵬56勝9敗25休2018年 栃ノ心59勝23敗8休2019年 朝乃山55勝35敗2020年 貴景勝51勝21敗3休 年5場所 <照ノ... -
関脇優勝をめぐる記録
三月場所は予想外の展開となって関脇若隆景が初優勝した。大正15年始まった優勝制度以降では32例目であり、28人目であった。若隆景は関脇1場所目であり、その前は8勝7敗、9勝6敗であり、大関昇進とはいかなかった。 <三月場所関脇優勝した若隆景> ... -
優勝若隆景の相撲内容を採点 下
8日目までを32.5点の相撲内容となった若隆景。引き続き9日目からの8番の相撲内容を採点してみる。 9日目 逸ノ城若隆景左へ動くも逸ノ城かまわず白房下土俵へ攻め込む。若隆景右が入って頭をつける。逸ノ城小手をかかえるも若隆景くいさがる体勢となる... -
優勝若隆景の相撲内容を採点 上
三月場所の若隆景はうまさに速攻が加わった。またパワー相撲に一気にもっていかれることが減り、長足の進歩を遂げた。その結果予想を超えて優勝した。その相撲内容を改めて採点してみた。採点基準は若隆景がどのくらい自分の力を発揮したかである。採点法... -
横綱の初休場番付
三月場所、照ノ富士は横綱で初休場をした。横綱4場所目の6日目であった。4場所目というといかにも早い感じがするが、実際はどうなのか。 そこで戦後場所数が増えた時代からの横綱の初休場を番付にしてみた。横綱の代では前田山から照ノ富士までである。...
1