昭和50年七月場所、横綱輪島全休、大関貴ノ
花途中休場。残った横綱北の湖、大関魁傑は
大不調の場所となった。
そんな中で浮上したのが前頭筆頭の金剛と
平幕中位の青葉城であった。このときはとも
に二所ノ関の部屋であったため直接の対戦は
なかった。千秋楽を迎え、金剛2敗、青葉城
3敗であった。千秋楽はともに勝ち、金剛が
初優勝した。
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この優勝は金剛の運命を変えた。元佐賀ノ花
の先代二所ノ関がこの年3月に57歳で亡く
なられた。後継者が決まらないため、暫定で
長老の元十勝岩が務めていた。師匠が暫定
というのは指導面、おかみさん不在、弟子が
いずれ師匠を返上する人という見方をする
なかで許されるカタチなのであろうか。
それはともかく未亡人は金剛を後継者にする
ことにした。そのため、かつての後継者候補
元大麒麟の押尾川が分裂騒動を起こす起因と
なった。金剛は優勝後6場所務めて引退した。
まだ27歳だった。
二所ノ関を継いだものの部屋の勢力は衰退
する一方であった。ついに二所ノ関は金剛の
代で終焉を迎えることになった。金剛は本家
をつぶす当事者となった。今の二所一門は
本家なき集合ということになる。
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昭和51年九月場所、千秋楽を待たずに前頭
4枚目の魁傑が2回目の優勝を達成した。
大関陥落後5場所目であった。成績は14勝
1敗だった。横綱は輪島・北の湖、大関貴ノ
花・旭國・三重ノ海といたが、最高成績は
輪島の12勝3敗だった。魁傑と輪島は同部屋
で対戦はなかった。魁傑はこの成績を足がか
りにして再び大関に復帰した。
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昭和56年九月場所、関脇琴風は2敗で14日目
に優勝を決定した。新横綱千代の富士は途中
休場だった。横綱北の湖・若乃花は前半から
2敗し、後半も負け、若乃花の11勝4敗が
最高成績だった。大関は不在だった。千秋楽、
優勝琴風は負けて3敗となったが、大関昇進
が決定した。
(この項目続く)