大相撲

優勝若隆景の相撲内容を採点 下

8日目までを32.5点の相撲内容となった若隆
景。引き続き9日目からの8番の相撲内容を
採点してみる。

9日目 逸ノ城
若隆景左へ動くも逸ノ城かまわず白房下土俵
へ攻め込む。若隆景右が入って頭をつける。
逸ノ城小手をかかえるも若隆景くいさがる
体勢となる。若隆景右が深くはいり、動きが
止まる。逸ノ城閂気味に抱える。再び動きが
止まる。若隆景左おっつけから寄り切る。
4点

<長い相撲を制した逸ノ城戦>

10日目 阿炎
阿炎の突きに若隆景ひるむことなく、下から
攻めて最後寄り切った。
5点

<阿炎に快勝>

11日目 高安
全勝高安と1敗若隆景が激突。高安押し込ん
でいくが、若隆景こらえて下からもろ差し
となる。勝機を逃さず、一気に寄り立てた。
5点

<高安を倒して1敗で並ぶ>

12日目 琴ノ若
1敗若隆景と2敗琴ノ若が対決。両力士当た
って琴ノ若出るも若隆景低い体勢でこらえる。
若隆景右差し左おっつけで琴ノ若を正面土俵
寄り切る。
5点

<琴ノ若を退けて1敗死守>

13日目 御嶽海
1敗若隆景の大関戦がこの日からスタート
した。まず御嶽海戦である。この日の御嶽海
は気合いが違った。前へ前へと圧力をかけ、
若隆景は後退しかできず、敗退した。
1点

<御嶽海に完敗>

14日目 貴景勝
この日高安2敗を目の当たりにした若隆景。
心中気するものがあったのか、貴景勝の押し
にいったん下がったものの組んで寄り返した。
地力を超越する力であった。貴景勝をもろ
差しで正面土俵寄り切った。
4点

<貴景勝に必死の勝利>

千秋楽
最後の大関戦正代戦は結びの一番になった。
その前に2敗の高安が阿炎に敗れ後退した。
これが若隆景にどういう心理的影響をもたら
したか。若隆景の右差しおっつけの体制に
ひるむことなく前へ出て圧倒してしまった。
2点

<正代の思わむ反撃に土俵を割る>

優勝決定戦 高安
13勝優勝なら上出来。12勝優勝なら優勝決定
戦がほしいといっていたが、後者になった。
若隆景か高安か。優勝決定戦が始まった。
この一戦にかける高安の意気込み・迫力は
大変なモノを感じた。若隆景も全力でむかえ
うった。攻防が激化するなかから高安はここ
ぞとばかりに圧力をかけるが、若隆景が土俵
際上手出し投げでかわした。この瞬間若隆景
の初優勝が決まった。
4点

<土俵際の勝利となった優勝決定戦>

後半の相撲内容は30点となった。16番で62.5
点となった。平均3.9となった。関脇で12勝
3敗においての点数だからよくやった、と
いえる。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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