大相撲

関脇優勝をめぐる記録

三月場所は予想外の展開となって関脇若隆景
が初優勝した。大正15年始まった優勝制度
以降では32例目であり、28人目であった。
若隆景は関脇1場所目であり、その前は8勝
7敗、9勝6敗であり、大関昇進とはいか
なかった。

<三月場所関脇優勝した若隆景>

御嶽海は関脇で3回優勝したが、大関に直結
したのは3回目だけであった。1回目、2回
目の関脇優勝では大関を逃している。照ノ
富士は関脇で2回優勝したが、2回とも翌
場所大関に昇進している。

玉錦は関脇優勝後9勝2敗-9勝2敗と好
成績を残しながら大関に昇進できなかった。
小部屋の悲哀としか言いようがない。清水川
は年4場所時代のため東京場所と地方場所の
合計成績で番付を編成したという事情から
2場所後の大関昇進にならざるを得なかった。

<玉錦のブロマイド>

関脇優勝の翌場所大関に昇進した例でも、
成績に疑問が残るケースがある。

朝汐  8勝-8勝-13勝優勝
佐田の山8勝-9勝-13勝優勝
栃ノ海 9勝-9勝-14勝優勝
琴風  9勝-10勝-12勝優勝

現代ならどうなっていたか。琴風のときは
大関が不在だった。

<朝潮のブロマイド>

若隆景を除く関脇優勝27人中、横綱に昇進
したのが、16人である。57%とかなり確率が
高い。最高位大関は27人中9人である。確率
は33%である。

慣例だと大関昇進は三役3場所の好成績が
求められる。だとしたら、若隆景の大関昇進
は今後の成績次第になる。五月場所に2ケタ
あげられるどうかがカギになる。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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