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三賞の4連続以上の受賞3

ここまで7人の4連続三賞受賞者をとりあげ、
今回の4人をみると法則性が見えてきた。
それは将来横綱・大関になった者が多いこと
である。

■千代の富士 5連続受賞
千代の富士は脱臼癖がつきまとっていた。
そのうえ取り口に投げが多いため、なかなか
出世できなかった。新入幕1場所後十両は
おろか幕下まで陥落している。再入幕まで
13場所かかっている。幕内復帰の要因として
取り口を、前みつを取って出る相撲に変えた。
再入幕で脱臼しないよう、筋肉の鎧で肩を
固め、脱臼癖を防止した。

<千代の富士>

こうして千代の富士はめきめき強さを発揮
していった。5連続三賞受賞は大関昇進直前
の4場所で生まれている。技能賞を3場所
連続受賞後、横綱北の湖との優勝決定戦で
初優勝した。このとき殊勲賞と技能賞を合わ
せて受賞した。昭和56年一月場所のことで
あった。

■北天佑 6連続受賞
北天祐は素質・素材がすばらしく、将来の
大物という見方をされていた。元増位山父の
三保ヶ関親方は「北の湖と北天祐を東西の
横綱にするのが夢」とまで語っていた。
新入幕 20歳
新小結 21歳
とにかく若かった。

<北天佑>

6連続三賞受賞は大関昇進直前の5場所で
あった。敢闘賞-殊勲賞-敢闘賞-敢闘賞
ときて初優勝して殊勲賞と技能賞をダブル
受賞した。昭和57年九月場所から58年五月
場所までである。北天祐23歳のときであった。

■大ノ国-大乃国 4場所連続
大ノ国の初三賞は入幕5場所目であった。
そこから4場所連続の三賞となった。殊勲賞
-殊勲賞-殊勲賞・敢闘賞で分かるように
横綱キラーであった。最初の殊勲賞で優勝
千代の富士、次点隆の里、北の湖から金星を
獲得している。3回目の殊勲賞も3横綱を
撃破している。

<大ノ国のブロマイド>

師匠の魁傑は終始クリーンであった。おかし
な相撲は取らなかった。これは弟子の大乃国
に引き継がれた。のちに、がちんこ大乃国が
千代の富士の連勝をストップしたのは歴史的
必然であった。

■北尾 4連続受賞
大器北尾は入幕2場所目から3連続三賞を
受賞した。1場所空いてそこから4場所連続
三賞受賞となった。殊勲賞・技能賞-殊勲賞
-殊勲賞を獲得している。そのあと大関に
昇進している。新入幕から8場所しかかかっ
ていなかった。

<北尾>

北尾は当時珍しかったパソコンをあつかって
いたことから新人類と呼ばれていた。新人類
ぶりが悪いほうに作用して立浪親方(元安念
山=2代目羽黒山)と対立して相撲界を去る
ことになった。筆者はこの事件を横綱10大
事件に加えている。

(この項目続く)

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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