大相撲

関脇以下の優勝争い4

昭和59年九月場所は蔵前国技館最後の興業と
なった。3横綱、4大関と番付は豪華だが、
優勝を争ったのは平幕の小錦と多賀竜であっ
た。千秋楽を迎え、1敗は多賀竜、2敗が
小錦であった。横綱・大関は以下の成績だっ
た。

<多賀竜>

北の湖 途中休場
隆の里 10勝5敗
千代の富士10勝5敗
若嶋津 11勝4敗
北天祐 9勝6敗
朝 潮 11勝4敗
琴 風 11勝4敗

千秋楽多賀竜は朝潮と小錦は琴風と対戦した。
ともに負け、多賀竜の優勝となった。ただ、
小錦が2横綱2大関(朝潮とは同部屋のため
対戦はない)と対戦したのに比べ、多賀竜は
2大関だけの対戦であった。これは公平な
扱いとはいえない。2横綱が出場している
のに対戦がない最高成績は価値なき優勝と
言わざるを得ない。実質的には小錦のほうが
上だった。

昭和61年三月場所、千秋楽を迎え、関脇保志
(のちの北勝海)が1敗、小結小錦が3敗。
保志の優勝が14日目に決定した。一人横綱の
千代の富士は途中休場。大関は5人いたが、
10勝5敗が最高成績だった。千秋楽は小錦と
保志が組まれ、小錦が勝っている。

<保志のブロマイド>

平成3年七月場所、突如浮上したのが琴富士
であった。琴富士はこの時点で入幕18場所目
であった。1度関脇を経験しているが大敗
している。先場所も5勝10敗と大負けして
いた。この場所の琴富士は違った。

<琴富士>

初日から連戦連勝。11日目横綱旭富士、12日
目大関小錦、13日目大関霧島を突破してきた。
14日目小結貴花田に敗れたものの、2敗が
いなく、琴富士の優勝が決まった。千秋楽も
勝って14勝1敗で優勝した。

下のころから大関貴ノ花の息子として常に
注目されてきたのが貴花田であった。その
貴花田が思いもよらず優勝戦争いに加わった
のが平成4年一月場所であった。この場所、
横綱北勝海は全休、横綱旭富士は場所中引退
した。31歳であった。

<貴花田>

優勝は小結曙と前頭2枚目の貴花田の間で
争われた。両者の直接の対戦は3日目におこ
なわれ、曙が勝っている。その後両力士は
併走したが、曙が12日目に負け、1差がつい
た。貴花田は逃げ切って初優勝してしまった。
貴花田の優勝に日本中が熱狂した。おじの
元若乃花の二子山理事長最後の賜杯を渡
した場所でもあった。

(この項目続く)

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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