安藝ノ海といえば双葉山の連勝記録を69でストップした力士である。
それまで稽古をしたことがなかった。双葉山から声がかかったが、
盲腸炎で稽古どころではなかった。盲腸炎のおかげで双葉山に勝て
たというわけだ。

双葉山の連勝をストップした力士が幕内上位をうろうろしているわ
けにいかない。一念発起して安藝ノ海は横綱にまで駆け上がった。
安藝ノ海は引退後年寄不知火→藤島となった。藤島のときに理事に
なっている。昭和30年に協会を離れた。
そんな安藝ノ海に話をききにいく記者がいた。杉山桂四郎氏である。
この方は視点、つまり目のつけどころが素晴らしかった。監察委員
を八百長Gメンと呼び、燃える要素があると強い北の富士を循環気
質とした。大いに学ばせていただいた方である。
さて横綱が輪島、北の湖の昭和50年、安藝ノ海は相撲界をどうみて
いたか。横綱は平幕の何倍も稽古をしたという。当時の出羽海部屋
は方屋を占めるほど幕内力士がいた。様々なタイプを相手に30番以
上はやった。豊昇龍は稽古に関して見習うべき点があるのでは・。

さらに言う。今は稽古が足りていない。研究心も足りない。輪島の
ランニングは意味がない、と斬り捨てる。高見山に攻められるとす
ぐに土俵を割る。
北の湖は輪島に負け続けている(5連敗)。それも同じような相撲
で負けている。それじゃだめですよ。ほかの部屋に稽古にいって輪
島タイプを相手に稽古しなきゃ。

魁傑はいい突っ張りがあるのにふだんは出ない。決め手に欠ける。
貴ノ花の相撲は体を半身に構えて顔はいつも右をむいている。あれ
じゃダメだ。頭は相手のあごの下につけなきゃいけないんだ。
昭和はご意見番がけっこう多かった。彦山光三、玉の海梅吉、天竜
三郎、東富士勤一、小坂秀二など。豊昇龍の横綱昇進は論外と一蹴
するだろう。令和にご意見番はいるのだろうか。