大相撲

横綱の初休場番付

2022年4月1日

三月場所、照ノ富士は横綱で初休場をした。
横綱4場所目の6日目であった。4場所目と
いうといかにも早い感じがするが、実際は
どうなのか。

そこで戦後場所数が増えた時代からの横綱の
初休場を番付にしてみた。横綱の代では前田
山から照ノ富士までである。なお、参考と
して主に年2場所時代(昭和2年から7年
までは年4場所)の横綱、常陸山から照國
までを載せた。この時代、横綱休場4場所目
は2年目になる。

驚異的なのは白鵬の横綱49場所目の休場で
ある。8年間新横綱から出場を続けたわけで
ある。この点でも白鵬は超人であった。続く
横綱が北の湖である。横綱44場所目の休場で
あった。

<白鵬>
<北の湖>

白鵬・北の湖のあとは差がついている。それ
でも2代目若乃花・大鵬は、2年以上横綱
休場はなかった。玉の海は休場ではなく不慮
の死によるもので、横綱在位中は1度も休場
がなかった。ここでは便宜的に死去の場所と
させていただいた。

横綱の初休場が全休だったのは吉葉山・朝潮・
柏戸・北勝海・貴乃花・日馬富士である。
前田山・鶴竜は初日不戦敗で休場したのだか
ら事実上の全休である。横綱初休場後、その
場所再出場した横綱が東富士と千代の山で
ある。現代では考えられない。

<照ノ富士>

照ノ富士の横綱4場所目の休場は下から数え
て13番目である。4場所目に休場した横綱は
5人いるが、詳細は以下である。
栃錦  7日目
照ノ富士6日目
三重ノ海5日目
武蔵丸 4日目
東富士 3日目
1日違いの差となっている。

3代目若乃花は横綱初休場を含め3場所連続
休場となった。このあと成績は好転しない
まま引退している。ワーストは新横綱の初日
から全休した吉葉山である。吉葉山のその後
の横綱人生を象徴するようだった。

<吉葉山のブロマイド>

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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