三月場所は関脇若隆景、平幕高安・琴ノ若の
優勝争いになった。横綱・大関は何をして
いたのか。横綱照ノ富士は途中休場、大関
正代は9勝、貴景勝は8勝に終わり、御嶽海
は4敗して優勝圏外だった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/04/220327千秋楽表彰-194A.jpg)
ここでいう優勝争いとは千秋楽を迎え、優勝
圏内にいる力士のことである。関脇以下の
優勝争いは珍しいが、それなりにある。そこ
で調査してみることにした。
大正15年から始まった優勝制度。最初の関脇
以下の優勝争いは昭和9年春場所だった。
千秋楽を迎え、1敗は関脇男女ノ川、2敗は
前頭筆頭幡瀬川・2枚目大邱山であった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/04/男女ノ川.jpg)
ただし、当時は優勝決定戦制度がなく、同成
績は上位優勝であった。つまりこの場所は
千秋楽前に優勝がすでに決定していることに
なる。男女ノ川は千秋楽負けて9勝2敗で
優勝して、場所後大関に昇進している。一人
横綱の玉錦は全休している。
次は昭和15年夏場所である。千秋楽を迎え、
関脇安藝ノ海・張出関脇五ツ嶋は1敗である。
千秋楽、五ツ嶋が敗れ、安藝ノ海の優勝が
決定した。安藝ノ海は千秋楽も勝って14勝
1敗で優勝した。安藝ノ海・五ツ嶋は場所後
大関に昇進した。第一人者双葉山は途中休場
している。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/04/安藝ノ海.jpg)
戦後初は昭和32年三月場所であった。優勝
決定戦制度は昭和22年夏場所から施行された。
千秋楽を迎え、1敗は関脇朝汐、2敗は平幕
琴ヶ濱であった。千秋楽は両力士とも敗れ、
朝汐が2回目の優勝となった。優勝朝汐に
三賞はなかった。横綱栃錦は11勝4敗だっ
た。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/04/朝汐.jpg)
昭和32年十一月場所。初の福岡開催定着の
本場所だった。黄金のまわしをつけた平幕
玉乃海が14日目全勝で優勝を決めてしまった。
千秋楽も勝って全勝優勝を達成した。ただし、
横綱・大関戦は一番もなかった。関脇一番
小結一番があるだけで優勝的価値はなかった。
横綱栃錦、大関若乃花は12勝3敗だった。
(この項目続く)