大相撲

三賞の4連続以上の受賞2

引き続き三賞の4連続以上の受賞力士をピッ
クアップしていこう。

■貴ノ花 4連続受賞2回
横綱若乃花の弟として注目された角界のプリ
ンス貴乃花。彼は期待に応えて三賞の常連に
なった。4連続受賞を2回にわたり成し遂げ
ている。

1回目は昭和46年三月場所から九月場所で
ある。この場所で殊勲賞2回、技能賞2回を
受賞している。このころの貴ノ花、体重は
さほどないが、しぶとい相撲を取っていた。
大鵬最後の場所に白星をあげて殊勲賞を獲得
している。

<貴ノ花>

2回目が昭和47年五月場所から九月場所で
ある。敢闘賞2回、技能賞2回受賞している。
時代は1度も勝てなかった玉の海が亡くなり、
横綱北の富士の一人横綱であった。その北の
富士の大不調が4場所続いた。復活は貴ノ花
最後の三賞受賞となった場所だった。この
4場所、貴ノ花はすべて2ケタ勝利で大関
昇進を決めた。

■大受 7連続受賞
まだ初々しいとき、貴ノ花と大受の時代が
やがてくるとまで期待された。徹底した押し
相撲。広い肩幅と重い足腰でじわじわと圧力
をかけていった。その押し相撲の技能は高く
評価され、技能賞を6回受賞したほどである。

<大受>

大受が7連続三賞を受賞したのは、輪島・
貴ノ花が大関に昇進したあとだった。昭和
48年一月場所から七月場所である。特に七月
場所、大受の押し相撲は脅威であった。この
ときの大受が一番強かった。この場所13勝
2敗で史上初の殊勲・敢闘・技能と三賞を
独占した。大受以外の三賞候補者が、印象が
薄かったという事情も手伝っていた。7連続
三賞受賞の内訳は殊勲賞・技能賞各3、敢闘
賞1であった。

■隆の里 4連続受賞
2代目若乃花とともに夜行列車に乗って上京
したのが隆の里である。2代目若乃花が順調
に出世したのに対し、隆の里は遅れてきた
英雄であった。原因は糖尿病にあった。その
ため、食事療法、運動、禁酒など壮絶な戦い
が続いた。「よくそんな食事が続けられるな」
と兄弟子の貴ノ花が感心するほどだった。
そしてついに隆の里は糖尿病に勝ったので
ある。

<隆の里>

隆の里が4連続三賞を受賞したのは昭和55年
七月場所から十一月場所である。殊勲賞2、
敢闘賞2であった。このとき2代目若乃花は
すでに横綱だった。隆の里が大関に昇進した
のは、さらに1年半後だった。2代目若乃花
はその5場所後に引退している。

(この項目続く)

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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