大相撲

関脇以下の優勝争い5

千秋楽を迎えて優勝圏内が関脇以下の場所を
みていこう。

平成4年、弟貴花田が2回優勝を達成した。
兄若花田が存在感を示したのが平成5年三月
場所であった。小結若花田は3日目大関小錦
を倒して7連勝。8日目こそ1敗したものの、
勢いは止まらず12日目同期の曙と対戦した。

<若花田>

曙は新横綱の場所だった。ここまで3敗と
負けが込んでいた。相撲は、曙が得意の突っ
張りでいくが、若花田は土俵際でかわし、
両力士土俵下へもつれた。取り直しとなった
が、今度は若花田が曙にくいさがる体勢を
つくった。曙が強引に出るも、若花田が足を
跳ね上げての下手投げでころがした。

流れは若花田のなか、14日目に2敗がいなく
優勝を決定した。若花田は千秋楽大関霧島に
勝って、14勝1敗で初優勝を成し遂げた。

平成10年十一月場所、平幕琴錦は初日から
連戦連勝。12日目横綱若乃花に敗れて1敗と
なった。13日目2敗の横綱貴乃花を破ると、
14日目大関貴ノ浪に勝って優勝を決定した。
横綱曙は全休。大関武蔵丸戦はなぜかなかっ
た。

<琴錦>

琴錦は平幕2回目の優勝という史上初の記録
をつくった。といっても琴錦は関脇21場所
小結13場所務めた実力者であった。最初の
優勝は23歳のときだったが、2回目の優勝は
30歳のときだった。優勝間隔は42場所に及ん
だ。

平成13年九月場所、2横綱4大関のうち4力
士が休場した。出場した横綱武蔵丸は9勝
6敗、大関武双山は10勝5敗に終わっている。
そんななかで浮上したのが琴光喜である。
琴光喜は入幕6場所目で関脇2場所、小結
1場所をすでに経験していた。入幕2場所目
から上位であった。

<琴光喜>

14日目を終えて琴光喜1敗で優勝が決定した。
次点は3敗の関脇栃東であった。千秋楽琴光
喜は敗れて13勝2敗となった。この優勝は
大関の足がかりにはならなかった。琴光喜が
優勝したのを見て、朝青龍は「おれもできる」
と思ったという。

(この項目続く)

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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