東富士は将来を有望視されていた。双葉山は「キン坊」と呼んで幕
下東富士に胸を出し、よく稽古をつけていた。その後東富士はぐん
ぐん実力をつけ、十両・幕内へと駆け上がっていった。昭和19年秋
場所新関脇東富士は双葉山と対戦した。東富士は巨体をぶつけ、右
差し。双葉山が腰を立て直す前に寄り立て上手投げを決めた。東富
士は双葉山に恩返しをした。

現在力士は勝手に部屋を移籍できない。以前はそんなことはなかっ
た。戦時中富士ヶ根(元若港三郎)部屋の東富士が出羽海部屋に移
籍するという動きがあった。東富士は本家高砂(元2代目朝潮)部
屋前田山とうまくいっていなかった。結局、移籍は実現しなかった。
昭和22年に富士ヶ根は部屋を閉じ、東富士を高砂部屋に預けた。
東富士は昭和20年秋場所に大関に、昭和24年春場所横綱に昇進した。
大関在位6場所、優勝1回だった。怒濤の寄り身に加えて上手出し
投げが強烈だった。「大関は一芸でいい。しかし、横綱は一芸では
だめだ。ニ芸必要だ」が持論だった。

歴史のなかにはあわや5横綱が出現しそうになったことがある。昭
和29年秋場所、大関栃錦が連続優勝した。通算4回目の優勝でもあ
り、横綱昇進は決定的であった。ところが先輩横綱に東富士、千代
の山、鏡里、吉葉山がいた。このままでは相撲史上初の5横綱とな
る。ところがここで東富士が「5横綱はいけない」とあっさり引退
してしまった。
東富士の横綱時代、平幕戦は95勝20敗だった。金星配給率18.1%で
あった。平幕戦が7番あれば1.3個提供することになる。琴錦、若
ノ花、若葉山に2個提供している。優勝に連続優勝と全勝優勝はな
いのが寂しい。