大相撲

一人大関の場所数記録保持者貴景勝

現在貴景勝は一人大関である。これは正代の大関降
格によって生じたもので、きたる五月場所で3場所
目になる。実は貴景勝は以前一人大関の経験がある。
豪栄道が引退したときである。このあと朝乃山が新
大関となり一人大関は1場所で終わった。

<貴景勝>

ほかの一人大関はどうか。西ノ海が番付上初めて横
綱と表記されたのは明治23年夏場所である。それ以
降の一人大関が以下である。

●明治
大戸平 1場所
鳳凰  2場所
空位  3場所
常陸山、2代目梅ヶ谷が横綱に昇進して大関が一人
もいない場所が3場所続いた。
●大正
太刀光 1場所
●昭和戦前
清水川 1場所
鏡岩  1場所
前田山 1場所

<琴ヶ濱のブロマイド>

●昭和戦後
三根山 2場所
大内山 1場所
琴ヶ濱 3場所
3場所は空位を別とすれば新記録であった。この後
大関になった若羽黒は甘い昇進となった。
●昭和40年
豊山  1場所
貴ノ花 1場所&2場所
貴ノ花は初めて大関在位50場所を達成した大関であ
る。その息の長さがもたらした記録といえる。
千代の富士2場所
空位  1場所
琴風  2場所

<貴ノ花>

平成では一人大関は生まれていない。貴景勝の通算
4場所は一人大関新記録であり、連続3場所はタイ
記録にあたる。きたる五月場所、霧馬山の大関昇進
がならなければ貴景勝の記録は伸びることになる。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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