安芸乃島と貴乃花の確執|泥沼の移籍抗争と終焉までの経緯

安芸乃島と貴乃花の確執は、同じ藤島(のち二子山)部屋で兄弟弟子だった二人が、部屋の継承と移籍をめぐって対立したものです。発端は平成15年、安芸乃島の引退相撲に貴乃花が姿を見せなかったこと。平成16年に貴乃花が部屋を継ぐと、移籍を願い出た元安芸乃島(千田川)に貴乃花が許可の判を押さず、出入り禁止に至る泥沼となりました。元安芸乃島は手を差しのべた高田川部屋へ移り、後に部屋を引き継ぎます。確執は平成30年、貴乃花が協会を去って終わりを迎えました。

元大関貴ノ花の弟子であった元安芸乃島が、なにゆえ高砂部屋から独立(のち破門)した元前の山の高田川部屋を引き継ぐことになったのか。いわば二所ノ関一門を離れてまで他系統の部屋付き親方となったのか。そのいきさつは同門の2人の確執から始まった。

目次

確執の発端|藤島部屋の兄弟弟子だった

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元大関貴ノ花が二子山(初代若乃花)部屋から独立して藤島部屋をおこしたのは、昭和55年のことであった。後に横綱2人、大関1人をはじめ多くの関取を輩出した。その幕内第1号が安芸乃島(当時安芸ノ島)であった。昭和63年三月場所のことであった。このとき貴花田は前相撲を取っている。

横綱貴乃花
<貴乃花>

決裂のきざし|引退相撲への欠席

引退は貴乃花が早かった。2場所後の平成15年五月場所、安芸乃島が引退して藤島を襲名した。ともに部屋付き(この当時は二子山部屋)の親方として後進の指導にあたっていた。しかし、安芸乃島の引退相撲に貴乃花が出ないなど雲行きがあやしくなってきた。そんなとき二子山(元貴ノ花)が入退院を繰り返すようになっていた。

部屋継承と泥沼の移籍抗争

平成16年2月、貴乃花が二子山部屋を継承し、貴乃花部屋に改称した。5月、藤島は千田川に年寄名跡を変更した。このころから指導方針・考え方の違いにより、貴乃花と元安芸乃島の不仲は顕著になってきた。入退院を繰り返していた二子山が夏から入院した。

安芸乃島と貴乃花の確執をめぐる年表
<安芸乃島と貴乃花をめぐる年表>

元安芸乃島の千田川はついに部屋の移籍を申し出るが、貴乃花はなぜか移籍許可書類に承認の判を押さない。元安芸乃島の千田川は破門を申し出るが、貴乃花は部屋への出勤停止、出入り禁止を通知して、いき場のない泥沼抗争に陥った。

平成16年9月、千田川は結局、病床の二子山に保証人として判をもらった。手をさしのべてくれた高田川(元前の山)部屋に移籍した。高田川部屋は当時高砂一門から破門され、無所属になっていた。無所属2人は理事選では出羽海一門に投票したと推測されたことがあった。

元安芸乃島の千田川親方(後の高田川)
<元安芸乃島の千田川親方(後の高田川)>

確執の終焉

平成21年8月、高田川の定年間近に年寄名跡を交換して、元安芸乃島は高田川部屋を引き継ぐことになった。建物は新築した。平成22年、貴乃花が一門の意向を無視して理事選に出馬して当選。今後、貴乃花グループとしてまとまっていくことになった。その約1年後、高田川部屋は二所ノ関一門に加わることになった。

兄弟子・安芸乃島と横綱・貴乃花のプライドからおきたとされる2人の確執は、平成30年9月、貴乃花が協会を離れることになって終焉を迎えた。

確執の経緯(年表)

年月できごと
昭和55年貴ノ花が二子山部屋から独立し藤島部屋を創設
昭和63年三月安芸乃島が藤島部屋の幕内第1号に(貴花田は前相撲)
平成15年五月安芸乃島が引退し藤島を襲名。引退相撲に貴乃花が欠席
平成16年二月貴乃花が二子山部屋を継承し貴乃花部屋に改称
平成16年五月藤島が千田川に名跡変更。不仲が顕著に
平成16年九月千田川が高田川部屋へ移籍(病床の二子山が保証人)
平成21年八月元安芸乃島が高田川部屋を継承
平成22年貴乃花が理事選に出馬し当選
平成30年九月貴乃花が協会を離れ確執が終焉

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この記事を書いた人

日本経済新聞で15年間記者を務め、日経HRの編集者を経て独立。現在は大相撲を専門に取材するフリーライター。ほぼ毎場所、自ら土俵際で撮影している。にほんブログ村 相撲・大相撲カテゴリでランキング1位。

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