元大関貴ノ花の弟子であった元安芸乃島が
なにゆえ高砂部屋から独立(のち破門)した
元前の山の高田川部屋を引き継ぐことになっ
たのか。いわば二所ノ関一門を離れてまで
他系統の部屋付き親方となったのか。その
いきさつは同門の2人の確執から始まった。
元大関貴ノ花が二子山(初代若乃花)部屋
から独立して藤島部屋をおこしたのは、昭和
55年のことであった。後に横綱2人、大関
1人をはじめ多くの関取を輩出した。その
幕内第1号が安芸乃島(当時安芸ノ島)で
あった。昭和63年三月場所のことであった。
このとき貴花田は前相撲を取っている。
<貴乃花>
引退は貴乃花が早かった。2場所後の平成
15年五月場所安芸乃島が引退して藤島を襲名
した。ともに部屋付き(この当時は二子山
部屋)の親方として後進の指導にあたって
いた。しかし、安芸乃島の引退相撲に貴乃花
が出ないなど雲行きがあやしくなってきた。
そんなとき二子山(元貴ノ花)が入退院を
繰り返すようになっていた。
平成16年2月、貴乃花が二子山部屋継承し、
貴乃花部屋に改称した。5月、藤島は千田
川に年寄名跡を変更した。このころから指導
方針・考え方の違いにより貴乃花と元安芸乃
島の不仲は顕著になってきた。入退院を繰り
返していた二子山が夏から入院した。
元安芸乃島の千田川はついに部屋の移籍を
申し出るが、貴乃花はなぜか移籍許可書類に
承認の判を押さない。元安芸乃島の千田川は
破門を申し出るが、貴乃花は部屋への出勤
停止、出入り禁止を通知して、いき場のない
泥沼抗争に陥った。
平成16年9月、千田川は結局病床の二子山に
保証人として判をもらった。手をさしのべて
くれた高田川(元前の山)部屋に移籍した。
高田川部屋は当時高砂一門から破門され、
無所属になっていた。無所属2人は理事選
では出羽海一門に投票したと推測されたこと
があった。
<元安芸乃島の千田川親方(後の高田川)>
平成21年8月、高田川の定年間近に年寄名跡
を交換して、元安芸乃島は高田川部屋を引き
継ぐことになった。建物は新築した。平成22
年、貴乃花が一門の意向を無視して理事選に
出馬して当選。今後貴乃花グループとして
まとまっていくことになった。その約1年後、
高田川部屋は二所ノ関一門に加わることに
なった。
兄弟子安芸乃島と横綱貴乃花のプライドから
おきたとされる2人の確執は、平成30年9月、
貴乃花が協会を離れることになって終焉を
迎えた。
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