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関脇優勝その翌場所4

関脇優勝4A

取口を変えて急激に強くなったのが、千代の
富士である。それまで投げが中心だった。
そのため、よく肩を脱臼した。8回も脱臼
すれば、あきらめの境地になっても不思議
ではない。しかし、千代の富士は鍛えぬき、
筋肉の鎧を身につけた。そして前褌を取って
寄る相撲に変えたことによって快進撃が始ま
った。
千代
<千代の富士>

昭和56年一月場所、張出横綱で1敗の北の湖
と東関脇で全勝の千代の富士が千秋楽激突
した。その背景には大関貴ノ花引退、大関
増位山は北の湖と同部屋で対戦なしという
事情が最高の舞台を演出した。本割りは北の
湖が勝って優勝決定戦になった。決定戦は
千代の富士が上手出し投げで初優勝を達成し、
相撲ファンは新しい英雄に熱狂し、歓喜した。
この優勝で千代の富士は大関昇進を決定的な
ものにした。
下の頃から将来の大関・横綱候補として注目
を集めていたのが、北天佑である。上下の
均整が取れ、骨太で筋肉質の逞しい体と甘い
フィーリングは、スターの要素であふれて
いた。十両昇進後9場所連続勝ち越している。
北
<北天佑>

昭和58年五月場所は千秋楽をむかえ、1敗で
関脇北天佑、2敗で大関隆の里と大関若嶋津
が追う展開であった。北天佑は関脇出羽の花
と対戦。この一場、北天佑の勇み足があった
のではないかと物言いがついた。優勝がかか
っている一場での物言いほどいやなものは
ない。結局取り直しとなり、北天佑が勝って
初優勝となった。3場所連続2ケタ勝利の
好成績で大関昇進を決めた。
 保
<保志のブロマイド>

関脇優勝後大関昇進がはたせなかった力士が
いる。保志(後の北勝海)と武双山である。
一昔前なら大関昇進だったかもしれない。
昭和61年三月場所、一人横綱千代の富士は
途中休場。大乃国・北尾・朝潮・北天佑・
若嶋津の5大関は優勝を争えない状況。そん
ななか関脇保志が堂々の13勝2敗で優勝。
翌場所12勝3敗の好成績をあげ、文句なしに
大関に昇進した。平成12年一月場所、横綱
武蔵丸と若乃花は休場。関脇武双山は横綱
貴乃花、小結雅山と優勝を争い、貴乃花に
勝ち、最後まで2敗を守って優勝した。翌
場所12勝3敗の好成績をあげ、晴れて大関に
昇進した。
七月場所関脇優勝の御嶽海は、九月場所どん
な成績をあげるのか。保志・武双山に続き、
大関昇進を決めることができるのか。九月

場所の大きな注目点になる。 

(終わり)

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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