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関脇・小結全員勝ち越しの場所1

一月場所は関脇・小結全員が勝ち越した。
4人の成績と大関戦は以下である。高齢横綱
は休場が続いている場所であった。大関陣は、
貴景勝が負け越し。正代・朝乃山は11勝4敗
であった。優勝は前頭筆頭の大栄翔で関脇・
小結はそろって負けている。

東関脇 照ノ富士11勝4敗(大関戦2勝)
西関脇 隆の勝8勝7敗(大関戦2敗)
東小結 高安 9勝6敗(大関戦2敗)
西小結 御嶽海9勝6敗(大関戦3勝)

照ノ富士が技能賞を受賞している。関脇・
小結全員勝ち越し、これはそう多いことでは
ない。

<照ノ富士>

そこでこれまでどれくらいあるのか調べて
みることにした。東西制は反対側の方屋と
しか対戦しないから強敵との対戦が半減する。
そこで系統別総あたり制が定着した昭和22
年秋場所以降を対象とした。

最初の関脇・小結全員勝ち越しの場所は昭和
29年春場所であった。新横綱吉葉山は全休、
横綱東富士は途中休場であった。出場した
横綱は10勝の鏡里・千代の山であった。大関
は12勝で優勝した三根山と9勝の栃錦であっ
た。そんななか関脇・小結全員が勝ち越した。

東関脇若ノ花9勝6敗(横綱大関戦2勝2敗)
西関脇 松登8勝7敗(横綱大関戦1勝3敗)
東小結 朝潮8勝7敗(横綱大関戦4敗)
西小結大内山10勝5敗(横綱大関戦2勝1敗)

<大内山のブロマイド>

いずれもこれから先、横綱・大関に昇進する
そうそうたるメンバーである。なお、鏡里と
大内山は同じ時津風(元双葉山)部屋のため、
対戦はない。三賞は誰も受賞していなかった。

次は昭和30年夏場所である。横綱吉葉山は
2日目から休場。横綱陣は千代の山が8勝と
不調、栃錦は14勝で5回目の優勝、鏡里は
11勝であった。大関は大内山が9勝、三根山
は6勝と負け越して関脇降格が決定していた。
そんななか関脇・小結全員が勝ち越した。

東関脇 松登8勝7敗(横綱大関戦4勝1敗)
西関脇若ノ花8勝7敗(横綱大関戦2勝3敗) 
東小結 朝潮8勝7敗(横綱大関戦1勝4敗)
西小結信夫山9勝6敗(横綱大関戦2勝1敗)

<信夫山のブロマイド?

3人は前回と同じメンバーである。信夫山は
技能賞を受賞している。信夫山は小野川(元
金華山)部屋所属である。その前身である
陣幕(元青葉山)部屋閉鎖のとき陣幕親方は
出羽海部屋へ移籍した。そのいきさつから
小野川部屋の力士は出羽系の力士との対戦は
なかった。

次は2場所後の昭和31年初場所にやってきた。
横綱陣は、千代の山が途中休場、鏡里が14勝
で3回目の優勝、吉葉山・栃錦は9勝であっ
た。大関陣は、若ノ花が13勝、大内山と松登
は負け越していた。そんななか関脇・小結
全員が勝ち越した。

東関脇時津山8勝7敗(横綱大関戦3勝1敗)
西関脇 朝汐9勝6敗(横綱大関戦3勝2敗) 
東小結羽嶋山9勝6敗(横綱大関戦2勝3敗)
西小結出羽錦8勝7敗(横綱大関戦1勝4敗)

<朝潮のブロマイド>

朝汐は3回目の登場である。翌場所朝汐は
優勝している。ただし、12勝3敗で大関昇進
はなかった。さらにその翌場所大関若ノ花が
初優勝している。

5人の関脇・小結で全員勝ち越した場所が
ある。昭和32年九月場所である。この場所
横綱陣は、栃錦が13勝2敗で6回目の優勝、
鏡里が8勝、吉葉山が9勝、千代の山が終盤
途中休場した。大関陣は若乃花・朝汐が11勝、
松登が6勝と負け越した。そんななか関脇・
小結5人全員が勝ち越した。

東関脇時津山9勝6敗(横綱大関戦4勝2敗)
西関脇安念山9勝6敗(横綱大関戦1勝5敗) 
張出関琴ヶ濱11勝4敗(横綱大関戦4勝2敗)
東小結北ノ洋11勝4敗(横綱大関戦5勝1敗)
西小結若羽黒8勝7敗(横綱大関戦1勝5敗)

<北の洋のブロマイド>

5人で48勝した。これは4人に換算すると
38.4勝に相当する。この時点では関脇・小結
全員勝ち越しの成績としては最高成績である。
北ノ洋が殊勲賞、琴ヶ濱が技能賞を受賞して
いる。優勝栃錦を倒したのは若羽黒だったが、
三賞につながらなかった。

前回から月日は流れ、関脇・小結全員勝ち
越しの場所は昭和41年七月場所であった。
部屋別総あたり制に入っていた。横綱陣は
大鵬が14勝で21回目の優勝。柏戸は12勝、
佐田の山は11勝、栃ノ海は全休であった。
大関は豊山一人で8勝であった。そんななか
関脇・小結全員が勝ち越した。

東関脇北の富士10勝5敗(横綱大関戦1勝2敗)
西関脇玉乃島9勝6敗(横綱大関戦1勝3敗)
東小結 琴櫻9勝6敗(横綱大関戦1勝3敗)
西小結長谷川9勝6敗(横綱大関戦1勝3敗)

<北の富士>

将来の横綱が3人そろっている。北の富士は
場所後大関に昇進している。玉乃島は2場所
後大関になった。玉乃島は殊勲賞を受賞して
いる。昭和40年代は関脇・小結全員勝ち越し
の多い場所となった。

(この項目続く)

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興味深いテーマをこれからもお届けします。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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