5月31日長谷川が亡くなられた。81歳だった。ニュースで知ったの
は6月8日だった。佐渡ヶ嶽(元初代琴錦)所属だったが、本名の
長谷川で通した。独立できる力はあったが、部屋付き親方として佐
渡ヶ嶽(元琴櫻)をサポートした。長谷川はどんな力士だったのか。
3年ごとに区切って土俵人生を振り返ってみよう。
◆昭和40年~42年(20歳~23歳)
長谷川の入幕は昭和40年一月場所であった。20歳であった。上位と
対戦したのは入幕4場所目であった。横綱・大関戦は2勝5敗なが
ら8勝7敗で勝ち越してしまった。上位2戦目は10勝5敗をと2ケ
タ勝利した。幕内初の負け越しは上位3場所目であった。
この時期小結を5場所務めた。上位戦は86勝94敗、横綱戦5勝28敗、
大関戦15勝17敗だった。三賞は技能賞、敢闘賞、殊勲賞を獲得した。
金星は栃ノ海から2個、佐田の山から1個であった。
◆昭和43年~45年(23歳~26歳)
この時期連続8場所関脇及び小結2場所務めている。18場所中17場
所上位であった。長谷川の成長期であった。上位戦は17場所、132
勝123敗。横綱戦7勝23敗、大関戦16勝23敗だった。ただ、三賞は
2度目の殊勲賞のみであった。金星は佐田の山・北の富士から各1
個、柏戸から2個奪っている。昭和45年三月場所からは北の富士、
玉の海が横綱に昇進している。

◆昭和46年~48年(26歳~29歳)
昭和46年五月場所、大横綱大鵬が引退した。同年10月玉の海が帰ら
ぬ人となった。この時期、長谷川は8場所連続関脇で、計12場所務
めている。特筆すべきは昭和47年三月場所で関脇優勝したことであ
る。一人横綱北の富士の乱調、4大関の弱体という背景があった。
上位戦は17場所132勝123敗。横綱戦5勝21敗、大関戦19勝29敗だっ
た。三賞は3度目の殊勲賞と2度目の敢闘賞を受賞している。充実
期であった。北の富士から金星1個獲得している。昭和48年七月場
所から横綱輪島が登場している。
◆昭和49年~51年(29歳~31歳)
この時期関脇1場所、小結2場所務めている。上位戦は15場所中10
場所と後退した。上位成績は66勝84敗で、横綱戦2勝21敗、大関戦
8勝16敗だった。昭和49年九月場所から横綱北の湖と対戦している。
3度目の敢闘賞、2度目の技能賞を受賞している。昭和51年五月場
所、初日から4連敗すると引退した。
幕内上位の成績は416勝424敗、横綱戦は19勝87敗、大関戦は58勝85
敗だった。強豪関脇であった。