大相撲

照ノ富士の優勝争い1

七月場所では白鵬と千秋楽全勝決戦で熱戦の
末惜敗した照ノ富士。また、照ノ富士はよく
優勝決定戦に負けてきた。五月場所初めて
優勝決定戦に勝利した。優勝するためには
優勝を争う相手に直接勝つことは重要な条件
である。これまで照ノ富士の優勝争いの足跡
をみていこう。

照ノ富士が優勝争いに初めて浮上したのは
平成27年三月場所であった。入幕7場所目。
新関脇の場所であった。このとき横綱は白鵬・
日馬富士・鶴竜、大関は稀勢の里・琴奨菊・
豪栄道であった。日馬富士とは同部屋のため
対戦はない。また鶴竜は初日不戦敗の休場で
あった。

<白鵬に勝利>

この場所、照ノ富士は初日から7連勝。8日
目稀勢の里に敗れたものの、全勝の白鵬を
追走。11日目魁聖に敗れ、白鵬と2差で13日
目に対戦した。なんと大方の予想を覆し、
照ノ富士が勝利してしまった。だが1差が
縮まらず、白鵬34回目の優勝となった。

翌五月場所、照ノ富士は佐田ノ海、徳勝龍に
取りこぼして11日目1敗の白鵬と対戦した。
この一番は白鵬がリベンジして、この場所も
優勝は白鵬と思った。ところが、一寸先は闇
だった。このあと白鵬は2敗してしまう波乱
の流れになってきた。

<日馬富士が白鵬を倒す>

千秋楽は白鵬、照ノ富士ともに3敗で迎える
ことになった。照ノ富士は平幕碧山に勝って
結びの一番を待つことになった。結びは、
部屋の日馬富士が食い下がって白鵬を倒した
ため、照ノ富士の初優勝が決まった。この
優勝で照ノ富士は場所後大関に昇進した。

<照ノ富士初優勝>

(この項目続く)

女子バスケットが決勝進出。すばらしすぎる。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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