佐田の山の四股名は本名の佐々田普松からきている。出羽海部屋所
属だが、現在「佐田」のつく四股名は境川(元両国=前名小林山)
部屋専用になっている。佐田の山は後に師匠出羽海(元出羽ノ花)
の市川家に婿養子に入って姓を変えている。入幕は大鵬入幕の1年
後で昭和36年一月場所だった。木製の電柱をてっぽう柱にして鍛え
た突っ張りを武器にした。

入幕3場所目に前頭13枚目で初優勝している。ただし、横綱・大関
戦はなかった。現在と違って上位と組ませる規定はなかった。十両
優勝の清ノ森に負けているので「幕内優勝力士は十両優勝者より弱
い」と揶揄された。平幕優勝力士は大関になれないというジンクス
があったが、佐田の山が破った。入幕8場所目、関脇のとき横綱大
鵬との優勝決定戦に勝って場所後大関に昇進した。
佐田の山の大関時代は長かった。苦労した。横綱は栃ノ海に先んじ
られた。結局佐田の山は大関17場所かかって横綱に昇進した。13勝
ー13勝ー13勝優勝だった。優勝した場所から部屋別総あたり制が始
まった。
大鵬との対戦成績は、6勝28敗(優勝決定戦含む 横綱同士では4
勝8敗)と差はあった。だが、相撲内容は熱戦が多く、内容があっ
た。大鵬の引退時、大鵬がいることによって、一番苦労したのは誰
か、という質問にこう答えている。「佐田の山さんです。ここ一番
というときよく勝ってしまったから」大鵬優勝のとき、次点佐田の
山は7回を数えた。

横綱で2場所連続優勝の翌場所突如引退した。「精魂つき果てた」
という言葉を残し、昭和43年三月場所で引退した。30歳であった。
佐田の山の金星配給率をみていこう。横綱時代の平幕戦は103勝19
敗である。金星配給率は16%である。7番平幕戦があれば1.1個提
供していることになる。1場所最高金星配給数は4個である。玉
乃島、清國、豊國、長谷川に2個提供している。