時津風一門は、双葉山が立浪部屋から独立して築いた系統である。立浪(元緑嶋)部屋にいた双葉山は、師匠の娘との縁談と部屋継承を断り、昭和16年に双葉山相撲道場として独立した。のちに伊勢ノ海・井筒と一門を形成する。本稿はその成り立ちと、現在16票を持つ時津風一門の顔ぶれをたどる。
※相撲の一門とはシリーズ第4回。時津風一門編。
時津風部屋は立浪(元緑嶋)部屋から双葉山が独立しておこした部
屋である。立浪部屋は明治の末、元小結緑嶋がおこした部屋である。
それでいて時津風部屋は立浪一門の一員ではなく、独自の時津風一
門を形成した。

そのいきさつはこうだ。師匠立浪(元緑嶋)は双葉山に「ほうびに
娘をやろう。部屋も継がせる」ともちかけた。だが、双葉山には心
に決めた女性がいた。

それだけではなかった。立浪(元緑嶋)と双葉山は様々な点で意見
が折り合わなかった。すき間風が吹き始めていた。その結果、双葉
山は昭和16年、双葉山相撲道場として独立した。
盟友元鏡岩の粂川が部屋も弟子も双葉山にさしだした。不動岩、鏡
里は粂川の直弟子である。独立しても立浪一門の枠内では弟弟子の
元羽黒山を盛り立てることになってしまう。そこで、双葉山相撲道
場及び引退後の時津風部屋は、他の部屋を併合し、勢力拡大に向か
った。

また、伊勢ノ海部屋、井筒部屋と一門を形成していった。時津風部
屋の分家は式秀(元大潮)部屋、湊(元豊山 前名長浜)部屋、荒
汐(元大豊)部屋ある。だが、現在時津風一門に残っているのは荒
汐(元蒼国来)部屋だけである。立浪(元安念山=2代目羽黒山)
部屋から独立した追手風(元大翔山)は考え方が違うと時津風一門
に移籍した。
現在時津風一門の票数は16票である。6人は再雇用である。現在理
事は伊勢ノ海(元北勝鬨)と勝ノ浦(元起利錦)である。
▶ 相撲の一門とは シリーズ:総論(五系統の仕組み)/①出羽海/②出羽海の分家/③高砂/④時津風(本稿)/⑤八甲山系・宮城野/⑥伊勢ヶ濱/⑦二所ノ関/⑧二所ノ関の分家 | 相撲部屋と一門の系統まとめ(完全ガイド)