2018年4月– date –
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大相撲
五月場所番付の明暗分けた分岐点
風薫る五月場所の番付が祝日に発表された。三役候補は珍しく(?)6人いた。東関脇 御嶽海 7勝8敗西関脇 栃ノ心 10勝5敗西小結 逸ノ城 9勝6敗東筆頭 遠藤 9勝6敗西筆頭 玉鷲 9勝6敗東6枚目魁聖 12勝3敗文句なしは栃ノ心、逸... -
大相撲
大相撲優勝・次点力士7 平成前期
平成は来年(2019年)4月、今上天皇退位により終了予定である。そこで平成は前期・中期・後期に分けて優勝・次点力士に触れていくことにする。次点は当然優勝者に次ぐ成績の力士だが、横綱・大関と対戦のない力士及び部分対戦力士ははずした。複数いると... -
大相撲
大関の条件
大関というのは協会の看板である。関脇までは勝ち越しで上がれるが、大関となると好成績の連続で初めてなれる地位である。協会から使者が赴き、伝達式によって大関に昇進したことを伝える。大関になった力士は口上を述べる。これだけでも大関の特別扱いが... -
大相撲
大相撲優勝・次点力士6 昭和50、60年代
昭和51年から輪島と北の湖が本格的に対抗する時代へ突入した。次点は当然優勝者に次ぐ成績の力士だが、横綱・大関と対戦のない力士及び部分対戦力士ははずした。複数いるときは上位力士とした。この時期優勝・次点を輪島、北の湖で連ねたことが7回ある。... -
大相撲
大英断!幕内・十両の大幅枚数削減
現在幕内の人数は42人、十両は28人である。平成14年十一月場所では幕内40人、十両26人であった。平成15年から北の湖理事長が公傷制度廃止を決定した。これは常に休場者が出る現状に楔を打つためであった。その救済措置として一月場所から幕内を2人、十両... -
大相撲
大相撲優勝・次点力士5 昭和40年代
昭和40年から部屋別総当たり制が始まった。これはNHK解説者の玉の海梅吉氏が、時津風(元双葉山)理事長に進言したことに始まる。時津風理事長は、好取組が増えるという世論をバックに協会内の反対論を「いまや人情におぼれているときではない」と一括... -
大相撲
今は昔 系統別総当たり制
系統別総当たり制は昭和7年から昭和14年及び昭和22年夏場所から昭和39年十一月場所に施行された取組編成方法である。それでは系統別総当たり制とはいったいどういうものか。本家、分家を中心として大阪相撲の流れの部屋を組み込んだものが系統である。具... -
大相撲
大相撲優勝・次点力士4 昭和30年代
昭和33年名古屋が本場所に昇格し、年6場所制がスタートした。あまりの間隔の短さに「優勝候補は先場所の優勝者になるのでは」という見方がされたほどであった。また、大日本相撲協会が日本相撲協会に改称した年でもある。<栃錦のブロマイド>次点は当然... -
大相撲
外国人力士の先駆け高見山
今でこそ外国人力士は珍しくもないし、人数も大勢いる。現代なら情報がはいりやすいし、先人が築いてきた道を歩んでいける。ところが純粋な外国人力士第1号となるとそうはいかない。大相撲で成功した外国人第1号が高見山である。高見山はどういういきさ... -
大相撲
大相撲優勝・次点力士3 戦前~戦後 場所数変遷期
昭和7年から系統別総当たり制になった取組は、昭和15年東西制に戻った。これは出羽海部屋の力士が半数近くなったことが大きかった。9年ぶりの復活だが、以前の東西制を知る力士は、男女ノ川、幡瀬川くらいになっていた。次点は当然優勝者に次ぐ成績の力... -
大相撲
貴乃花の再出発
貴乃花親方が貴乃花一門の一門名を返上した。ゼロからのスタートに貴乃花という一門名はふさわしくないとの判断である。一門を解散するとかはなさそうだが、自分が一門を離脱するということに関しては微妙である。<日刊スポーツの記事>それにしても、... -
大相撲
大相撲優勝・次点力士2 戦前編
大正15年4月、摂政宮殿下(後の昭和天皇)の御下賜の金一封で賜杯がつくられた。当時は摂政賜杯と呼ばれ、幕内最優秀成績者に渡されることになった。大正15年春場所から協会が個人優勝制度を正式にスタートさせ、表彰するようになった。それにともない、... -
大相撲
大相撲優勝・次点力士1 明治・大正編
かつて相撲博物館は優勝力士100人と称した展示をおこなった。この優勝というのは実は両国国技館が開設された明治42年夏場所を起点としているものだった。これは時事新報社が幕内最高成績力士の額を国技館に掲げたものであった。当然相撲協会の表彰はなかっ... -
大相撲
協会の女人禁制の理由は不明確
ちびっこ相撲で女子が締め出された理由は「女の子に一生残るような傷を負わせてはいけない」というものだった。いかにもとってつけた理由である。ケガをするとしたら、力士の対応のまずさにある。またこれまで男女を問わず、一生残るケガをさせたケースが... -
大相撲
横綱高安時期尚早論
高安が連続12勝をあげたことで、五月場所の成績次第では横綱昇進と意気込む方がいる。しかし、高安の大関の成績をつぶさにみると以下になる、9勝6敗 1勝2敗13休 8勝5敗2休 12勝3敗 12勝3敗つまり高安は大関としては不成績が続いた後、連続12勝し... -
大相撲
異常人気が続く大相撲
最近の相撲チケットは1日というより短時間で完売する傾向が続いている。土日ともなると数分である。まさに異常人気である。一昔前プロ野球といえば巨人戦の中継が中心だった時代、巨人戦のチケットはプラチナペーパーと呼ばれていた。いまや大相撲のチケ... -
大相撲
土俵の変遷
古代・中世に土俵はなかった。従ってすもうといっても力比べや殺伐とした荒っぽい格闘技であったと思われる。日本書紀にある野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)の戦いは古代の話である。信長が少女に相撲をとらせたというが、これはど... -
大相撲
まだまだ続く土俵女人禁制問題
伝統に配慮して、古くからのしきたりでという言葉でこれまで、女性が土俵に上がるのを拒んできた。それでは女性はなぜ土俵に上がれないのか。その理由は公の場ではけして話されることはなかった。<土俵>その行き着く先はけして口にはできない女性は穢れ... -
大相撲
平成30年五月場所チケット事情
五月場所の前売りが始まった。大相撲は暴行や命より優先されるしきたりなど不祥事続きであるが、チケットの売れ行きにまったく影響が出ていない。むしろ、悪名は無名に優るかのごとく話題が尽きることのない大相撲が、脚光を浴びてすさまじい売れ行きにな... -
大相撲
土俵女人禁制問題再び
土俵の女人禁制が波紋を続けている。宝塚市の巡業で女性市長が土俵で挨拶をしたい旨申し入れたが、拒否された。そのため土俵下の挨拶となった。挨拶では「女性市長ですが人間です。男性の市長は土俵の上に立ってご挨拶します。(中略)女性ということで土... -
大相撲
永遠のテーマ?女性土俵問題
舞鶴巡業で思わぬことが起こった。舞鶴市長が挨拶中に土俵に倒れて動かなくなったのである。この緊急事態に土俵に駆けつけ応急処置をほどこした中に女性が何人か含まれていた。女性は心臓マッサージを開始。場内アナウンス担当の行司は周囲の声もあり、「... -
大相撲
鶴竜優勝の足跡
三月場所は千秋楽を待たずに鶴竜が4回目の優勝を決めた。昨年(平成29年)は6場所中5度休場という窮地に陥った。フル出場した三月場所も10勝5敗と平凡な成績に終わっている。それを思えば、よく立ち直ったものである。<H30年三月場所 鶴竜4回目の優... -
大相撲
40回優勝の白鵬でも破れない優勝記録
2勤1休のペースできた白鵬が三月場所休場して、初めて連続休場した。既に前人未到の40回優勝を達成して偉大な横綱にかわりはない。しかし、そんな白鵬でも優勝に関する記録で抜けない記録が実はある。<白鵬の優勝パレード 旗手石浦>◆入幕した年から引... -
大相撲
貴乃花親方の変身
貴乃花親方がこれまでの言動を平謝りに謝って一見落着した。平成28年の理事長選挙に2対6で敗れたときは「すがすがしい気持ち」とか「八角理事長のもとで」と語っていたが、日馬富士暴行事件勃発後に協会首脳と表立った対立関係にはいった。その言動は留...
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