貴乃花親方が貴乃花一門の一門名を返上した。
ゼロからのスタートに貴乃花という一門名は
ふさわしくないとの判断である。一門を解散
するとかはなさそうだが、自分が一門を離脱
するということに関しては微妙である。

<日刊スポーツの記事>
それにしても、理事の座を失い、理事候補
選挙に負けを承知で出馬し、テレビで日馬
富士暴行事件の異論反論を展開し、内閣府
へ告発状を提出までした。ここまでは強気
の姿勢だったように見えた。
大阪府立体育館には無断欠席するにいたって
は、つまらないことでつけ込まれることを
すべきでなかった。一転したのは、弟子貴公
俊の暴行事件である。ここからうちひしがれ
ることになった。

<スポーツニッポンの記事>
貴乃花親方なら自らの弟子に厳しくあたり、
即刻破門にするのでは、という見方があった
が、そうではなかった。貴乃花親方も人の子
であった。弟子の処分に寛大さを求めた。
そして暴行を境に頭が低くなった。内閣府へ
の告発状を取り下げた。年寄総会では総スカ
ンをくい、弟子の暴行による監督不行き届き
で平年寄にまで降格させられた。
貴乃花親方このところ音なしだった。気力が
心配だったが、思わぬカタチで浮上した。
考えてみれば貴乃花は一代年寄である。この
一門の名が続くことはないのである。弟子
育成への情熱は変わらないようである。月に
むら雲、花に風だったが、再び立ちあがった。
一門名返上は貴乃花親方の再出発の瞬間で
あった。
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