昭和51年から輪島と北の湖が本格的に対抗
する時代へ突入した。次点は当然優勝者に
次ぐ成績の力士だが、横綱・大関と対戦の
ない力士及び部分対戦力士ははずした。複数
いるときは上位力士とした。
この時期優勝・次点を輪島、北の湖で連ねた
ことが7回ある。この時期北の湖は優勝7回、
次点が8回という数字をあげた。輪島は優勝
5回、次点4回している。これに貴ノ花、
魁傑、旭國の個性派が彩った。輪島に変わっ
て浮上してきたのは若三杉(後の2代目若乃
花)であった。
<輪島(左)と北の湖>
この時期は北の湖時代といっていい。2代目
若乃花は北の湖に対抗できず、2番手の存在
であった。優勝・次点を輪島、北の湖で連ね
たことは昭和53年七月場所が最後になった。
通算12回を記録した。輪湖時代は確かに一時
代を築いた。輪島の次点は11回に及んだ。
北の湖を脅かす存在として千代の富士が台頭
してきた。
千代の富士は投げの相撲から前褌を取って
出る相撲に変えて急速に成長してきた。時代
は千代の富士に移ってきた。2代目若乃花と
隆の里は同じ列車で二子山(元初代若乃花)
が青森から連れてきた弟子だった。出世は
2代目若乃花が早かったが、昭和58年1月
限りで引退した。2代目若乃花の次点は
12回を数えた。
<千代の富士>
一時期隆の里が千代の富士に立ちふさがった。
両者の相星決戦は見応えがあった。隆の里が
3勝1敗と怪力で千代の富士を押さえ込んだ。
昭和50年代末、北の湖はすでに晩年であった。
次点は17回で柏戸の15回を超えた。
昭和60年から東京の会場は蔵前国技館から
現在の両国国技館に移った。昭和60年代も
千代の富士の時代であった。2つの象徴的
できごとがある。1つは、昭和61年から昭和
62年にかけ、5連覇を達成したことである。
もう1つは、昭和63年に53連勝を達成した
ことである。連勝を止めたのはガチンコ横綱
大乃国であった。昭和最後の場所の千秋楽の
できごとであった。
(この項目続く)
南北朝鮮のニュースの日でした。
興味深いテーマをこれからもお届けします。
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