大相撲

横綱の休場あけ30歳以上優勝 下

昭和33年から年6場所制が始まった。消耗は激しく、
30歳まであるいはそれ以下で引退する横綱が多くな
ってきた。

6場所制の横綱で最初の休場あけ30歳以上の優勝は
北の富士であった。北の富士は28歳で横綱になった
からありえた。昭和47年九月場所、途中休場、全休
後15戦全勝優勝した。9回目の優勝だった。この年
北の富士は乱調で休場以前も7勝7敗1休、9勝6
敗だった。一月場所では貴ノ花との一番でつき手か
かばい手かの歴史的一番があった。

<北の富士>

次が35歳まで取った千代の富士である。千代の富士
は30歳以上の優勝が19回ある。連続優勝は5連覇、
4連覇、3連覇がある。30歳以降の優勝率は驚異の
53%である。そんななかで横綱の休場あけ30歳以上
優勝は以下5回である。

途中休場後 昭和61年5月30歳 13勝2敗16回目
途中休場後 昭和62年11月32歳 15勝  22回目
全休後   昭和63年5月32歳 14勝1敗23回目
全休後   平成元年7月34歳 12勝3敗28回目
全休後   平成2年11勝35歳 15勝  31回目

<千代の富士>

このあと武蔵丸が途中休場後の平成14年三月場所、
30歳で優勝した。成績は13勝2敗で10回目の優勝
だった。さらに日馬富士が途中休場・全休後の平
成27年十一月場所、31歳で優勝した。13勝2敗で
7回目の優勝だった。

白鵬は晩年休場がちであった。だから30歳以上の休
場あけ優勝は実に多かった。以下の7回である。40
回目以降の優勝はすべて休場あけである。

<白鵬>

途中休場後 平成29年5月32歳 15勝  38回目
全休後   平成29年11月32歳 14勝1敗40回目
途中休場後 平成30年9月33歳 15勝  41回目
全休途中後 平成31年3月34歳 15勝  42回目
途中休場後 令和元年11月34歳 14勝1敗43回目
途中休場後 令和2年3月35歳 13勝2敗44回目
途全3途全 令和3年7月36歳 15勝  45回目

(この項目終わり)

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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