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横綱の休場あけ30歳以上優勝 上

去る五月場所休場あけの横綱照ノ富士が8回目の
を優勝達成した。混迷の時代は12勝優勝が多かっ
たが、久々の14勝1敗の優勝だった。照ノ富士は
途中休場、全休3場所と休場あけの場所であった。
若いころならともかく照ノ富士は31歳であった。

<4場所休場後優勝した横綱照ノ富士>

横綱大鵬は休場あけ優勝が多かったが、すべて20代
だった。5場所連続休場後に45連勝(誤審でストッ
プ)しているほどである。30歳を超えての休場あけ
優勝は簡単ではない。これまでどれくらいあったの
か。大正15年の優勝制度以降をみてみよう。

最初の横綱休場あけ優勝は常ノ花であった。途中休
場、全休後の昭和4年夏場所32歳で優勝した。これ
が8回目の優勝であった。年2場所から4場所の時
代だから達成しやすかったともいえる。

<常ノ花のブロマイド>

さらに昭和27年夏場所横綱東富士が休場あけ優勝を
している。30歳で5回目の優勝のときだった。その
前場所途中休場といっても13日目から再出場してい
る。現代では考えられない休場のスタイルである。

<東富士のブロマイド>

昭和32年三月場所、横綱千代の山は途中休場あけで
15戦全勝優勝を達成した。30歳のときであった。こ
れが千代の山最後の6回目の優勝であった。前回の
優勝から2年弱たっていた。

横綱初代若乃花は途中休場明けの場所で思いがけな
い展開が待っていた。史上初横綱同士が14勝同士で
千秋楽激突したのである。相手はライバル栃錦であ
った。栃若戦は、前年は栃錦、後年は若乃花有利で
あった。昭和35年三月場所、若乃花が勝って初の15
戦全勝で優勝した。32歳のときであった。

<若乃花のブロマイド>

戦後は年2場所から3場所。さらに4場所の時代が
続いたから30歳以上の横綱は珍しくなかったことが
影響していた。

(この項目続く)

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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