大相撲

関脇以下の2回優勝1

2019年10月11日

九月場所、御嶽海が2回目の優勝を成し遂げ
た。関脇で2回優勝は昭和32年の朝汐以来と
報じたメディアがあった。朝汐は最初の優勝
は9勝-9勝-12勝優勝で大関昇進はなら
なかった。ところが2回目の優勝は8勝-
8勝-13勝優勝で大関に昇進した。昭和30
年代なら御嶽海は大関になっていたかもしれ
ない。

ところで、優勝を関脇以下まで広げると、
2回優勝している力士は7人いる。上記2人
を除いた5人をあげられたら、あなたは相撲
通である。

最初に関脇以下で2回優勝した力士は、男女
ノ川である。初優勝は春秋園事件で脱退した
あと復帰した昭和8年春場所だった。急遽
番付に別席を設けて付け足し、そこで優勝
した。別席といっても横綱玉錦、大関清水川・
武蔵山と対戦している。2回目の優勝は2場
所後の昭和9年春場所、関脇で優勝している。
このとき第一人者の横綱玉錦は全休している。
男女ノ川にとっては、これが最後の優勝でも
あった。
男女ノ川
<男女ノ川のブロマイド>

関脇以下で2回優勝した2人目の力士は、
上記の朝汐である。朝汐は昭和27年秋場所
から昭和28年春場所までの上位・関脇で10勝
-11勝-10勝をあげて以来、連続2ケタ勝利
が、なくなったなかで2回目の優勝で大関に
昇進した。1回目の優勝は大関若ノ花、平幕
若羽黒を優勝決定戦で制して初優勝した。
2回目の優勝は3横綱1大関を撃破しての
優勝だった。どちらも大阪場所だった。
朝潮
<朝汐のブロマイド>

3人目は佐田の山である。最初の優勝は昭和
36年五月場所であった。ただ、これは横綱・
大関戦がいっさいない平幕優勝であった。
強豪を倒してのモノではなかった。それでも
佐田の山はただ者ではなかった。翌場所、
初の上位戦で11勝4敗の好成績をのこした
のである。
佐田の山
<佐田の山のブロマイド>

2回目の優勝は初優勝から5場所後、昭和37
年三月場所であった。当時大鵬は横綱3場所
目で4連覇中であった。優勝は大鵬と関脇
佐田の山の優勝決定戦となった。この一番で
佐田の山が果敢に大鵬を攻め、撃破してしま
ったのである。佐田の山は8勝-9勝-13勝
優勝で大関に昇進した。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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