大相撲

【7月22日】関脇以下の優勝力士キラー6

2018年7月17日

昭和49年五月場所から57年一月場所までの
優勝力士キラーをみていこう。ただし、横綱・
大関と対戦のない平幕優勝力士及び横綱・
大関と部分対戦の平幕優勝力士に勝った力士
は、対象外とさせていただいた。この時期は
輪湖時代から北の湖時代、さらに千代の富士
が台頭し始めてきた。
昭和40、50A
昭和50A
ここにきて関脇以下で優勝力士に5度勝った
力士が3人現れた。1人目は技能派栃東で
ある。栃東は昭和43年五月場所大関玉乃島に
最初に勝ってから横綱大鵬、再び大関玉乃島、
そして大関北の富士と続く。優勝北の富士に
勝ったのは、昭和44年十一月場所だから1度
目から4度目までは1年4場所しかかって
いない。しかも4度とも三賞を獲得している。
栃東
<栃東>

ところが5度目は昭和50年七月場所と5年
4場所後なのである。勝った優勝力士は平幕
上位の金剛である。この場所栃東は負け越し
ている。当然三賞もない。30歳で晩年であっ
た。9場所後に引退している。

2人目は若三杉、後の2代目若乃花である。
昭和49年十一月場所、小結魁傑に勝ったのを
皮切りに、横綱北の湖に3度、輪島に1度
勝っている。若三杉は早くから期待される
逸材だった。元安藝ノ海は「若三杉は北の
富士級の横綱になれる」と語っていた。若三
杉が最初の優勝力士から最後の優勝力士の
勝利まで2年2場所という短期間である。
1度だけ負け越しがある。優勝力士からの
最後の勝利となった昭和52年一月場所後に
大関に昇進している。
若
<若三杉>

3人目は高見山である。昭和47年三月場所
関脇長谷川戦が優勝力士に勝った最初である。
輪島には強く、2度勝っている。北の湖から
も2度勝利している。5度目は昭和53年九月
場所だから、6年4場所かかっての達成で
あった。惜しいのは5度のうち3回は負け
越していることである。
高見山
<高見山>

なお、関脇以下の優勝力士キラーで、優勝
力士側として登場する輪島・北の湖だが、
関脇以下で優勝力士に勝ったことは1度も
ない。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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