MENU

宮城野部屋の経緯 下

高島(元巴潟)部屋から独立した吉葉山は宮城野部屋
を興した。その部屋は廣川、竹葉山へと引き継がれ
た。ところが2004年8月26日に異変がおこった。事の
経緯はこうだ。1989年廣川宮城野急逝後、部屋付きの
元竹葉山が部屋を継いだ。ところが、北の湖部屋
(横綱北の湖)所属の元十両・金親が廣川宮城野未亡
人と養子縁組をした後に廣川宮城野の次女と結婚し、
宮城野を襲名した。

元竹葉山の宮城野株の所有者は廣川の遺族ということ
になる。しかし、借株では部屋はもてない。考えられ
るのは宮城野株を譲渡した形にして宮城野部屋をとり
あえず継続させたのでは。真の宮城野の所有者は廣川
の遺族であったことが表だった出来事となった。

<元金親>

それでも不思議なのは、元金親が宮城野部屋を興す
なら、自分で弟子を集め、ゼロから人を育成するのが
筋である。それをしないで縁もゆかりもない元竹葉山
が育てた弟子を自分の弟子にはできないはずである
し、やってはいけないことだった。

だが、元金親及び廣川の遺族はタブーをかまわず遂行
した。これにより、元竹葉山は年寄熊ヶ谷に名跡を
変更して、宮城野部屋の部屋付き親方となってしまっ
た。こんなにわか師匠と育ての師匠が同居するカタチ
をどうして協会は認めたのか。暫定師匠も賛成でき
ないが、にわか師匠はあってはならない存在だった。
理事長は元金親のかつての師匠北の湖であった。それ
でいて宮城野部屋は元金親の出身母体の出羽一門では
なかった。

<白鵬に賜杯を渡す北の湖理事長>

昇進の使者を迎えるのはにわか師匠の金親宮城野、
プラベートな席は実質師匠の竹葉山熊ヶ谷が同行し
た。このような使い分けが2004年8月から2010年12月
まで6年以上続いた。途中、横綱審議委員の内舘牧子
氏は「白鵬の師匠は誰か」と北の湖理事長に迫った。
「それは熊ヶ谷(元竹葉山)です。今まで熊ヶ谷が
やってきたし、これからもやるべき」と北の湖理事長
は明言した。口が裂けても元金親の宮城野とは言え
なかっただろう。

この形に終止符を打ったのは2007年5月に週刊誌に
掲載された記事だった。その内容は2006年七月場所で
白鵬に勝たせるよう金銭で工作したと知人の女性に
語ったという内容である。この件は裁判ざたになり、
協会は勝訴したものの、金親宮城野は協会の品位を
傷つけたとして師匠の資格を失って部屋付きの親方に
なるか、拒否して廃業するかの選択を迫られた。金親
宮城野は部屋付きの金親熊ヶ谷の道を選択した。こう
して元竹葉山が宮城野に師匠として返り咲いた。2010
年12月のことであった。

<元竹葉山>

それだけでは終わらなかった。2015年、元十両金親の
熊ヶ谷親方が七月場所中に運転手兼スケジュール管理
者を金属バットで殴り、2週間のケガをおわせていた
ことが明るみになった。逮捕された熊ヶ谷親方は日常
的に暴行を行っていた可能性があるとして追及され
た。東京地裁に起訴され、協会は10月に解雇してい
る。

かつていびつなカタチの時期があった宮城野部屋。
今、元白鵬によって新生宮城野部屋はスタートして
いる。

ブログランキング

当サイトはブログランキングに参加しております。記事をよんでいただいたら、以下バナーをクリックいただくと、ランキングに反映されます、1日1クリックよろしくおねがいします
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

目次