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関脇以下の2回優勝1

九月場所、御嶽海が2回目の優勝を成し遂げ
た。関脇で2回優勝は昭和32年の朝汐以来と
報じたメディアがあった。朝汐は最初の優勝
は9勝-9勝-12勝優勝で大関昇進はなら
なかった。ところが2回目の優勝は8勝-
8勝-13勝優勝で大関に昇進した。昭和30
年代なら御嶽海は大関になっていたかもしれ
ない。
ところで、優勝を関脇以下まで広げると、
2回優勝している力士は7人いる。上記2人
を除いた5人をあげられたら、あなたは相撲
通である。
最初に関脇以下で2回優勝した力士は、男女
ノ川である。初優勝は春秋園事件で脱退した
あと復帰した昭和8年春場所だった。急遽
番付に別席を設けて付け足し、そこで優勝
した。別席といっても横綱玉錦、大関清水川・
武蔵山と対戦している。2回目の優勝は2場
所後の昭和9年春場所、関脇で優勝している。
このとき第一人者の横綱玉錦は全休している。
男女ノ川にとっては、これが最後の優勝でも
あった。
男女ノ川
<男女ノ川のブロマイド>

関脇以下で2回優勝した2人目の力士は、
上記の朝汐である。朝汐は昭和27年秋場所
から昭和28年春場所までの上位・関脇で10勝
-11勝-10勝をあげて以来、連続2ケタ勝利
が、なくなったなかで2回目の優勝で大関に
昇進した。1回目の優勝は大関若ノ花、平幕
若羽黒を優勝決定戦で制して初優勝した。
2回目の優勝は3横綱1大関を撃破しての
優勝だった。どちらも大阪場所だった。
朝潮
<朝汐のブロマイド>

3人目は佐田の山である。最初の優勝は昭和
36年五月場所であった。ただ、これは横綱・
大関戦がいっさいない平幕優勝であった。
強豪を倒してのモノではなかった。それでも
佐田の山はただ者ではなかった。翌場所、
初の上位戦で11勝4敗の好成績をのこした
のである。
佐田の山
<佐田の山のブロマイド>

2回目の優勝は初優勝から5場所後、昭和37
年三月場所であった。当時大鵬は横綱3場所
目で4連覇中であった。優勝は大鵬と関脇
佐田の山の優勝決定戦となった。この一番で
佐田の山が果敢に大鵬を攻め、撃破してしま
ったのである。佐田の山は8勝-9勝-13勝
優勝で大関に昇進した。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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