大相撲

大関在位2場所後の運命

2019年8月10日

貴景勝が途中休場、全休で大関を2場所で
明け渡すことになった。言うまでもなく大関
2場所は最短である。大関不十分のイメージ
がある栃ノ心でさえ5場所だった。貴景勝の
心境はいかばかりであったろうか。
181226赤ちゃん抱っこ 355
<貴景勝>

大関が2場所連続負け越しで降格の規定は
昭和2年の東西合併以降始まった。新大関
から2場所連続負け越して降格した大関が
いる。戦前の出羽海部屋の力士、五ッ嶋で
ある。新大関の場所5勝5敗5休。両膝の
故障であった。

翌場所7勝2敗までいきながら、6連敗して
負け越した。当時は降格場所で10勝以上なら
大関に復帰できるという規定はない。その後
五ッ嶋はどうなったか。翌場所関脇で全休
してそのまま引退(廃業)してしまったので
ある。29歳であった。
五ツ島
<五ッ嶋のブロマイド>

大関2場所の運命となったのは、武双山で
あった。新大関の場所腰椎椎間板障害で全休。
翌場所はフル出場したが、4勝11敗と大敗
した。平成12年のことである。武双山は降格
した関脇で10勝をあげ、大関に復帰した。
その後25場所大関を務めたが、ついに優勝は
なかった。

貴景勝は九月場所で10勝以上あげられるのか。
夏巡業は休場して九月場所に臨むことになる。
押し相撲は特に稽古十分で臨まないと好成績
は難しい。10勝あげられなかったときは大関
再チャレンジになる。魁傑の道を歩むことに
なる。ただ、貴景勝はまだ若い。最終的に
到達する点の高さを求める志で臨んだほうが
いいように思える。

食欲がおちています。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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