昭和43年、青森県大鰐町出身の2代目若乃花こと下山は、同じく青
森出身ののちの隆の里こと高谷と共に師匠である二子山親方(元初
代若乃花)に連れられ、同じ夜行列車に乗って上京した。二人の出
世争いは以下だった。年は昭和である。
2若乃花 隆の里
新十両 48年7月 49年11月
新入幕 48年11月 50年5月
新小結 49年11月 52年3月
新大関 52年3月 57年3月
新横綱 53年7月 58年9月
こうしてみると隆の里は遅れて来た男といえる。新大関は5年の開
きになっていた。隆の里が横綱になった時、2代目若乃花はすでに
引退していた。

隆の里の戦いは対戦相手だけではなかった。幕下時代に深刻な糖尿
病を発症し、一時は現役続行すら危ぶまれた。隆の里は徹底した食
事療法に取り組んだ。兄弟子の貴ノ花が「よくそんな食事に耐えら
れるな」と感心していた。さらにウエイトリフティングを取り入れ
た独自の肉体改造に挑んだ。そして隆の里はついにと糖尿病に勝っ
た。昭和56年7月に立風書房から「糖尿病に勝った」が出版された。
徹底的に鍛え上げられた体は、他の力士とは一線を画していた。特
に首から肩にかけての筋肉が異常なほど大きく盛り上がっており、
アメリカのアニメキャラにちなんで「ポパイ」というニックネーム
で親しまれた。30歳9カ月という遅咲きで横綱へと上り詰めたその
忍耐強さは、当時朝ドラで爆発的大ヒットしていたタイトルになぞ
らえて「おしん横綱」と呼ばれた。

快進撃を続けていた千代の富士に立ち塞がった者が隆の里であった。
両力士は相星決戦が多かった。年は昭和。
58年7月 ●千代の富士 13勝1敗 大関隆の里○
58年9月 ●千代の富士 14勝 横綱隆の里○
58年11月 ○千代の富士 13勝1敗 隆の里●
59年1月 ●千代の富士 12勝2敗 隆の里○
千代の富士は昭和58年前半期までに8回優勝していた。一時期千代
の富士にとって隆の里はここ一番で勝てなくなっていた。幕内の対
戦成績でも16勝12敗と隆の里が勝ち越している。
隆の里の金星配給率を見ていこう。横綱時代の平幕戦は48勝11敗で
ある。金星配給率は18.6%である。平幕戦が7番あれば1.3個提供
している。ことになる。横綱在位15場所。フル出場して金星ゼロは
2場所ある。1場所3個金星提供は1場所である。逆鉾が金星を3
個獲得している。