大鵬の金星配給率

大鵬の父は長い間ロシア人と見られていたが、厳密にはウクライナ
人であった。当時日本領だった南樺太で生まれた。昭和20年、大鵬
少年は家族とともに引揚船に乗った。だが母が船酔いになり、途中
稚内で降りることになった。この後出港した引揚船はなんと沈没し
てしまった。まさに生死を分ける運命となった。大鵬少年は生かさ
れた。

大鵬は納谷としてニ所ノ関(元大関佐賀ノ花)部屋に入門していた。
そのときからニ所ノ関は目をつけていた。将来名を成す逸材と直感
したという。ニ所ノ関は納谷にお前は他の力士とは違うという意識
をうえつけた。納谷の特別扱いは稽古にも及んだ。スパルタである。
納谷は素直に受け入れる面と耐え忍ぶ心があった。四股、テッポウ
のノルマから始まり、二所ノ関伝統の荒稽古。その激しさとぶつか
り稽古は特別で、気が遠くなるほどであった。

大鵬のブロマイド
大鵬のブロマイド

納谷が期待に応え、3年で十両に昇進したとき大鵬の名を与えられ
た。大鵬が新入幕で初日から11連勝すると新しいスターの登場に人
気は爆発した。将来の横綱を予見させた。テレビ中継で大鵬の取組
が始まる時間になると、銭湯の女湯がガラガラになったという。21
歳3ヵ月という若さで横綱へ昇進した。抱き合わせで柏戸も横綱に
昇進した。柏鵬時代といわれたが実質は大鵬時代だった。

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優勝を重ねていく大鵬。そのなかで「巨人・大鵬・卵焼き」の流行
語が生まれた。佐田の山、豊山が頭角を表すと、二所ノ関は「ここ
で負けると時代が変わるぞ」と大鵬をたきつけた。大鵬は2度に渡
る6連覇を達成した。後は双葉山の69連勝であった。

大鵬
大鵬

大鵬の連勝は5場所連続休場後の昭和43年九月場所から始まった。
初日相撲巧者の栃東に敗れた。そこからなんと44連勝した。迎えた
昭和44年三月場所、相撲ファンの最大の関心事は大鵬の連勝にあっ
た。初日、曲者藤ノ川を一蹴して45連勝と記録をのばした。世紀の
大誤審はこの直後に起きた。

2日目、大鵬の対戦相手は新鋭の戸田(後の羽黒岩)だった。戸田
は立ち合いから猛然と大鵬を押したてた。大鵬後退。後退しながら
東土俵から正面にまわりこんだ。なおも押し立てる戸田だが、まわ
り込んだ大鵬を押すとき右足が土俵の外の砂をはねた。直後に大鵬
が正面土俵を割った。うちわは大鵬にあがった。控えの高鉄山も戸
田の足が出たと主張。だが、5人の審判は戸田の勝ちと判定した。

大相撲(読売新聞社刊)より
大相撲(読売新聞社刊)より

大鵬は支度部屋で「あんな相撲を取ったわしがいけないのだ」とい
う言葉が伝わり、立派な横綱だと賞賛されている。しかし、宿舎の
久本寺に帰り、ニュースを見ると誤審に対する怒りと失望がこみあ
げてきた。世紀の大誤審が大きな波紋となり、これがきっかけでビ
デオ判定が導入されることになった。

大鵬の金星配給率をみていこう。大鵬の横綱在位は58場所である。
平幕戦は306勝28敗であるが、戸田戦の誤審がある。本当は307勝
27敗である。金星配給率は8%である。平幕戦が7番あれば0.6個
提供したことになる。開隆山・豊國・海乃山が3個獲得している。
1場所最多金星配給は3個で2場所ある。フル出場して金星なしは
28場所に及んでいる。

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この記事を書いた人

相撲専属フリーライター・写真家。ペンネーム電光力。日本経済新聞社の記者を15年務め、日経HRの編集者を経て独立。2014年から大相撲ブログ「土俵の目撃者」を運営し、毎場所ほぼ全ての本場所を取材、土俵際から自ら撮影。撮影したリングサイド写真は9万枚を超える。にほんブログ村「相撲・大相撲」カテゴリ ランキング1位。

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